2016.12.24

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今日、ようやく、最後の課題を提出し終えた。
半ば力尽きたように提出したので、クオリティはあまり自信がないけど、粘ったところでいいものができるとは思えなかったので、開き直って提出してすっきり。
久しぶりに部屋を大掃除した。
よく、部屋の状態は心の状態っていうけれど、どういう状態だったかというと、見える部分は片づけるけどよくよく見るとごちゃごちゃしていた。
タンスの整理から始め、半日かけてすっきりさせた。
これですっきりした気持ちで年末日本に行ける。


今学期がどんな時間だったかって、今はまだ振りかえられるような実感がない。
2学期目で慣れた部分もあったけれど、前学期よりも授業を増やしたし、そういう意味では大変だった。
1学期目はとにかく目の前のことをこなすのに精いっぱいで、息をつく間もなくあっという間におわったけど、2学期目はいろんなことにチャレンジしたかな。
コミュニティを広げて、いろいろな人と出会い場を作って、自分としては積極的な行動が多かったつもりだ。
わたしはやっぱり、人を知るのがすきなんだなーと思った。
勉強に関しては、やればやるほど自分のできない部分が見えてくるので、そこに関しては割り切っている。
もちろん、努力しなきゃいけない部分だけれど、自分に完璧さを求めるつもりはない。
研究をしながら思うのは、わたしがやりたいことって結局「肯定するため」に向かっているんだなー。
自分も他人も、肯定してあげたいっていう気持ちが動機なんだなー、と。
「他者を研究することは結局、他者から自分を見つけること」って人類学者のクリフォードも言っていたけれど、まさにそんな感じ。
自分の知らなかった部分を発掘しているような、そんな過程だった。


長い長い冬休みが始まるわけだけど、まぁ本をたくさん読まないとなー。
論試の準備もそろそろしなきゃだから、英語も気合いいれてやらなきゃいけないな。
とりあえずは遊びたいけど。

2016.12.20

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今日は今学期最後の授業だった。
打ち上げも兼ねて、と「ブランチ」という名で学校外のカフェで授業をやることになってたのだけど、集合時間は8時半だった。
8時半に集まってブランチって、教授にとって朝食の概念とは、昼食の概念とは、と疑心を抱いた学生たち。
別の授業の課題が今日までだったので、私は徹夜をしていた。
明け方4時、1時間だけ寝ようと思いアラームをかけて寝て、起きると時刻は8時半。
文字通り飛び起きて駆け足で家を出て、9時前になんとか着いた。
普段授業に遅れない私の姿がなかなか見えないので、何人かは心配していたよう。
そんな感じでバタバタしながら、2学期目最後の授業は幕を閉じた。

おいしいパンを食べながら、授業をいつも通りに進行しつつ、今日は教授の話をたくさん聞けた。
あんまり心の内面を出さない人だけど、普段見えなかった部分を知れてよかった。
最後はみんなで記念写真を撮って、夜行性大学院生はふらふらしながら、何人かは家に帰り、私を含め何人かはそのまま研究室へ行った。

そして、先ほど無事に課題を提出できたので、ひとつ心の荷がおりた。
枚数規定はなかったものの、書いてみると20ページを超えた。
まぁ、私の場合インタビューの分析が中心だから、分量が増えるのは当たり前なのだけど。

そして、残るはあとひとつ。土曜日まで。
まだ書き出しもできてないのだけど、さすがに今日は眠すぎるので、寝てしまおうかと。
いや、今の状態で文字を読むのも書くのも無理だ。


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研究室で先輩が、ライアンのブランケットをかぶりながら寝ていて、かわいくて何人か写真におさめた。
すると、がばっと立ち上がり、「今撮った人、私に1000ウォン払え!」と言ってきた。
この先輩はかわいくて、多言語しゃべれるすごい人なのに、研究室でトップクラスにおもしろい。

今週、ソウルはかなり暖かい。
先週は氷点下だったのに、なぜか10度近い。
暖かいのはうれしいけど、寒暖差がひどいなぁ。

2016.12.18

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どうも、じわじわと身の回りに増えてくものを見ると、コーデュロイ素材にはまっているらしい。
見かけも実際にもあたたかいし、誰が着てもかわいい。
ベロア素材もすきだけど、色によってかなり印象が変わる。
いつまでコーデュロイブームが続くかわからないけど、飽きるまで存分に堪能する。


べつの言葉で (新潮クレスト・ブックス)

べつの言葉で (新潮クレスト・ブックス)

ある人の勧めでずっと気になってポチったやつを、随分経ってやっと読んだ。
開いたそのページから、作者の語る言葉はあまりにも自分の話で、内心パニックになりながらページを読み進めた。

アイデンティティが二つに分かれているせいで、またたぶん気質のせいで、わたしは自分が未完成で、何か欠陥のある人間だと考えている。それは自分と一体化できる言語を欠いているという言語的な理由によるのかもしれない。子供のころからアメリカで、両親を満足させるため、そして何よりも自分が完全に二人の娘であると感じられるように、ベンガル語を少しの外国訛りもなく完璧も話そうとしてきた。でもそれは不可能だった。一方では、アメリカ人だと認めてもらいたかったのだが、英語は完璧に話せたにもかかわらず、それもかなわなかった。根づいているのではなく、宙ぶらりんだった。わたしにはあいまいな二つの面があった。わたしが感じていた、そしていまもときどき感じる不安は、役に立たないという感覚、期待はずれな存在だという感覚に由来する。

作者の両親の母語ベンガル語で、作者はアメリカで育ったため英語が第一言語だ。
どちらの言語にも寄り添えない体験は、私が嫌でも向き合わなければならないそれと一緒だ。
作者は、家では英語を禁止され、ベンガル語でのみしゃべることを強要されていた。
それと比べれば、私の場合はそこまで徹底的な教育はされなかったけど。
英語でもベンガル語でもない、「イタリア語」との出会いは、不完全という完全さを与え、二重のイデオロギーから解放される。
私は多言語を操ることはできないから、そこまでの感覚はまだよくわからない。
けど、例えば学校で苦しまされている英語、例えば大学のとき選択したフランス語を、私が言語として扱えるようになったときは、私もこういう自由を手にするころができるのかな。
そういう意味で、私にとっては希望の本だった。

にしても、作者がイタリア語修得に至るまでの努力は、見習わざるをえないものだった。
私はあそこまで切実に言語学習をしたことがない。



週末はちょっと、気が抜けてしまってだらだらしたけど、火曜日までに一本仕上げなければいけないわけで。
ちょっと気合い入れなおして、とりあえず火曜まで!がんばろう。

2016.12.17

昨日は、ジェンダー研究の最後の授業で、期末ペーパーについて各自の発表した。
一応、発表10分・討論5-10分という規定だったけど、当たり前に守れるはずなく、各自30分以上発表したと思う。
11時から始まった授業が終わったのは、19時を過ぎてからだった。

準備は大変だったけど、緊張はあまりしなかった。
もともとこういう性格だった。
発表であまりプレッシャーを感じないようになったのも、ちょっとはここに慣れたのかな。
前学期でも授業の最後に発表をしたけど(2016.06.17 - Hello Sadness;D)、このときはあまりコメントをもらわなかった。
「~~参考にするといいよ」とかその程度だったと思う。
ところが、昨日の発表では、思った以上に突っ込んだコメントをたくさんもらった。
心が折れなかったといったら嘘になるけど、それ以上に、こうして内容に突っ込んでアドバイスをしてくれるのがうれしかった。
論文として、ちょっとは発展できたのかな、と。
まぁ、理論的背景で私が上手くまとめられなかった部分と、分析でどうまとめていいか困っていた部分は予想通り突っ込まれ、あと客観的にわからなかった部分も突っ込まれたので、提出日の20日までに直して上げないと。
結果的にやることは増えたけど、上手くまとめたいな。

8時間の授業を終え、みんなぐったりとして帰宅をした。
驚いたのは、教授が病気を抱えていて、学期が終わったら手術すること。
途中頭痛がひどいといって休憩してたけど、それでも最後までひとりひとりの発表を真剣に聞き、コメントをしていたその姿は、尊敬せざるをえない。
教育者として、学者としての使命を体を張って果たそうとする姿を見て、学生全員息をのんだ。
心から、すごいと思った。
私はここまで命を張って何かできるだろうか。

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文化人類学理論の授業で数回ミニエッセイを提出したんだけど、教授からそれに対するコメントのメールが来ていた。
読んでみると、肯定的なコメントが書いてあって、うれしい反面、見捨てられたのじゃないかと不安になった。
怒られる方が安心するなんて、いつからこんなに打たれ強くなったのか。
大学院の文化なのか、自分の反応に苦笑いした。

2016.12.15

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最近のソウルは、氷点下10度近くまで下がっている。
寒いというよりは、冷たいとか痛いっていう表現が正しいのかもしれない。
文句はぶーぶー言うけれど、なんだかんだだんだん慣れてきた。
寒いのは本当に苦手なんだけど、空気が冷たくてピンとした引き締まるような感覚は、わりとすきかもしれない。
前に漢医院で検査を受けたとき、私の体質は気温の変化になかなか適応できなくて、寒いのも暑いのも合わないらしい。
それを聞いたときは、この世で生きるのをあきらめるべきかと笑ったけど。
ちらふらと小ぶりの雪が降ったりもするし、本格的に寒い時期に入ったみたいだ。


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研究室の私の本棚の一部。
先輩がくれたライアンのポスターを貼ってるのだけど、本に埋もれて一部しか見えない。
このあとさらに増えて、今では目しか見えない。

明日は授業で全員発表をしなくちゃいけなくて、ひたすらその作業に追われた。
自分の発表だけでなく、人のも読んでコメントをしなくちゃいけない。
今日の23時まで提出で、これを書いてる時点で5分前だけど、現時点で提出しているのが4人なのだから笑っちゃう。
韓国人だからなのか、大学院生だからなのか、うちの学科がそうなのか、あるいは全部なのか、周りはとにかく時間にルーズ。

私は一応提出をしたので、さっさと寝たいのだけど、他の人があげてくれるまでは寝れない。
今寝ちゃって、朝早く起きてチェックしてコメントをまとめるっていう方法もあるけど、万が一寝過ごしたことを考えると、あまり安全な方法ではない。
というわけで、他の人のがあがるまで、ちょっと休みながら待つことにするよ。
一応アラームはかけておくけど、寝てしまわないように机の前に張りつきながら。

もともと私は睡眠欲に対する執着がすごかったけど、大学院に入ってからは割り切れるようになった。
こればっかりはどうしようもない。
まぁ、明日発表を終えたら、ひとまず思い存分寝るつもりなのだけどね。

こんな調子で今週が終わろうとしているのが、呆気なく感じるし、うれしくも感じるという、複雑な気持ち。

2016.12.13

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ある日の机の風景。
私は部屋の中で一番すきな場所はベッドで、次にすきなのは机の前だ。
家では極力勉強をしないようにしてるからなのか、高校生のときとかに比べれば確実にきれいだ。
とはいえ、この時期はそうも言ってられないので、家でも勉強するために机に向かわなければならない。

日本と韓国では、学期の時間が違うので、あんまりピンとこないかもしれない。
韓国は3月が新年度で、大まかにいえば日本とひと月ずれている。
冬休みが長く、クリスマス前には休みに入る。
周りの学部生の話を聞いていると、今週が試験期間で、ほとんど今週でおわるらしい。
ところが、大学院は学部生より一週遅い。スタートは同じなのに。
来週まで授業やる科目もあるし、私の場合、課題の最終締め切りは24日まで。
イヴまでは死ぬ気で走るしかない。

今学期3科目きいていたが、他学科の科目は今週初めに課題提出で、それは無事におわった。
専攻科目であり、必修である2科目は、期末ペーパーが課題で、提出は20日と24日。
ジェンダー研究の授業(今学期いちばん苦しかった科目)は、今週木曜日に第一稿提出で、金曜日に発表会をやる。
論文を書きながら、発表の準備をしながら、他の人の書いたのを読んでコメントもしなきゃいけない。
大学院に来てから感じたのは、分量の感覚が変わったこと。
A4サイズが基本だけど、10枚っていわれると少ないな、楽だな、っていう感覚で、20枚はまぁ普通、30枚はちょっとやめてって感じで。
書くのはすきだけど、内容が本当にへっぽこで、自分のだめっぷりを嫌でも認識させられるので、それがいちばんきついかも。

私は、研究室の人たちに「まじめ」「誠実」と評価されている。
こう言われるたびに、詐欺師の気持ちになる。
だって、私には土壇場でふんばれる伸びしろが他の人よりずっと短いのだから、コツコツがんばるしかないもの。
「みんなの何倍もかかるんですよ」って謙遜じゃなくて素直に言うけど、「それでもその姿勢はすごいよ。見習わなきゃ」と言われた。
重荷に感じるときもあるけれど、まぁ私が日本で修士通って、ここまでまじめに勉強したかっていうと微妙なとこだし。
どんな環境でも、そのときの自分の行動をもうちょっとほめてあげようかな。
相対的じゃなくて、絶対的に。

と、自分を励ましたところで、気合をいれる。
今夜は徹夜。
やることはたくさんある。
とりあえず、金曜日までがんばる!
それを乗り切っても、また別の山が待ってるけど、あと2週間だけがんばればいいのだから。
長い夜が始まるので、温かいお茶を横に置こうかな。

2016.12.09

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誰かとわいわいしながら、おいしいものを食べるのは、栄養学的な意味ではなく、とても健康的な行為だと思う。
ひとりでごはんを食べるのが大好きな私でさえ、しあわせに感じる時間だからだ。
なかなかストイックになりきれない自分にイライラして、自分の体をいじめたくなるけれど、どうにか自分自身にやさしくしながら、メリハリをつけることはできないものか。
考えてみれば、このつらい時期もあと2週間だ。
この数字は決して長い時間ではない。
ところが、かといって短い時間ではないことも知っている。
「あともっちょいだけ」と言い聞かせながら、効率よく動かない体に喝をいれる。


やがて哀しき外国語 (講談社文庫)

やがて哀しき外国語 (講談社文庫)

僕の経験から言うなら、外国人に外国語で自分の気持ちを伝えるコツというのはこういうことである。
(1)自分が何を言いたいのかということをまず自分がはっきり把握すること。そしてそのポイントを、なるべく早い機会にまず短い言葉で明確にすること。
(2)自分がきちんと理解しているシンプルな言葉で語ること。難しい言葉、カッコいい言葉、思わせぶりな言葉は不必要である。
(3)大事な部分はできるだけパラフレーズする(言い換える)こと。ゆっくりと喋ること。できれば簡単な比喩を入れる。
以上の三点に留意すれば、それほど言葉が流暢じゃなくても、あなたの気持ちは相手に比較的きちんと伝えられるのではないかと思う。しかしこれはそのまま<文章の書き方>にもなっている。

村上春樹の言うように、これらは外国語を話すときにも、また書くときにも、スムーズに伝えることのできる技術だ。
私はもともと、あまり難しい言葉を意図して使わない。
それは、言語の種類に限らず。
なぜなら、シンプルな言葉を使った方が、素直に自分の気持ちを表すことができるからだ。

まぁ、教室で、研究室で発言するときは、常に頭をフル回転して、必要最低限の言葉で伝わるように短くしゃべるようにしてるんだけど、だらだらとしゃべることが許されたときは、信じられないくらいどうでもいいことをひたすらしゃべっている自分もいる。
基本的にしゃべることはすきなんだけど、もともと考えすぎるタイプなので、自分の感情を上手く言葉で表現できないなと思ったときは、あきらめて、あるいは表現を探しながら、聞き役に徹することも多い。
それが許される場では、言葉のスムーズさとか考えずにだらだらとしゃべりたいけれど、なるべくシンプルに最低限な言葉数でしゃべれるようになることが理想である。