2018.08.27


今までも、きっとこれからも、王道じゃない道を選ぶだろう。
悲しいほどに「普通」という道を選べなかった。
なぜなら、わたしの人生に「普通」「平凡」という選択肢が許されなかったからである。
この件に関して、たくさん親を恨んだし、本人にも恨み言をぶつけたことがある。
小中高生のわたしは、よく周りと比べて、自分の異質さに悲しんで、やがて大きくなるうちに悲しむことを諦めた。
最近、その諦めたはずの悲しさを思い出し、余計に落ち込むようになってしまった。


「普通に働く」「普通に結婚する」
自分のそんな姿さえ想像できず、今もその普遍的な幸せを遠目から眺めている。
こういうことを誰かにもらすと、こんな言葉を返された。
「あなた自身が『普通』という選択肢を蹴っているじゃない。」
そうなのかもしれない。


普遍的な選択肢を諦めたわたしは、自分の将来を悲観するわけでも楽観するわけでもなく、冷静に受け止めるようになった。

「お母さん。ごめんね。わたし、たぶん結婚しないと思う。既存の結婚制度にも不満があるし、自分自身が他人との共生を必要としても、『異性』である必要性を感じないの。親不孝でごめん。孫の顔も見たいかもしれないけど、ごめん。」

ある日、母親に正直に胸の内を打ち明けたら、こう返された。
「無理やりしなくてもいいし、必要に感じなかったらしなくてもいいと思うよ。お母さんはそう思う。」
その言葉に、不思議なくらい胸が軽くなった。



明日からも生活を営むなかで、わたしは「普通」の選択肢を選ぼうとして諦めたり、あるいは見向きもしないかもしれない。
でもわたしは結構、この「普通じゃない」わたしのことを愛しているのだ。


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