2018.08.07


8:30 起床。
1時間ほどベッドでごろごろした後、起き上がり軽くストレッチ。シャワーを浴び、桃を朝ごはんに食べる。
ゆっくりと準備をして、Youtubeを見たりしているとあっという間にお昼に。
簡単に食事の用意をして、食べ終わったら片づけて家を出る。


13:30 出勤。
クーラーの冷えたオフィスで、ブルーライトを浴びまくる。
時給制ではなく歩合制のため、その日によってまちまちではあるが、今日は17:00頃に退勤する。
混雑した道をバスで1時間ほど揺られ、西日を浴びながら帰宅。


18:00 夕飯。
といっても、病み上がりで出勤したら体調がまた少し悪くなり、簡単に済ませてしまう。
こういうところが余計に不健康だとわかっていても、料理をすきになれない私は適当にものを口にする。
身体の疲れをリフレッシュさせたくて、だいすきなアイドルのDVDを再生する。
20:00 すきなアイドルのYoutubeが更新され、動画に癒され、友人たちと感想を言い合っているうちに夜が深くなる。
シャワーを浴び、ひたすらTwitterをしたり、Youtubeを見ているうちに1日が終わる。
23:30過ぎ、ブログを書き始め、今日という1日を振り返ってみる。
改めて自分がいかに非建設的な1日を生きているかを再確認し、明日こそはと心持を新たにする。


0:00過ぎ 就寝(予定)。


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2018.08.04

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体調を崩した。
寝て、吐いて、点滴を打って、薬を飲んで……なんとか回復をしている。
熱は未だに残っていて、平熱が低いから余計に気持ちが悪い。




自分が数年間、おざなりにしていたものをきちんと知りたいと思い始めた。
休学をして、人に会う時間を減らしていたけれど、最近は少しずつ人と接する機会を増やしている。
人と会うたびに、ああでもない、こうでもないと思考を巡らせてしまうけれど、そのことを話すと「頭で考えすぎ」と注意を促される。
2年間人類学者として、研究者としての視点が、良くも悪くも実生活に影響を及ぼしていることは薄々わかっていた。
もともと、思考に潜ることがすきなのだ。
考えることがすきで、人の話を聞いたり、本を読んだり、映画を見ることも、そのコンテンツを摂取することよりも、それらを自分の言語に通訳することが楽しくて、ついつい自分だけの殻に閉じこもって考えすぎてしまう。
自ら孤立を選んでいたことに危機感を覚えたのも最近のことだけど、ひっそりと息を潜めていた期間を経て今少しずつ人との交流を増やすことは、このような私の癖をリセットさせるのに効果的だと思う。
私は自分の思考に浸ることがすきで、目の前のことに対して誠実に向き合うことをおざなりにしていたのである。
習慣はすぐには変えられない。けれど、オフにしていたスイッチを入れるように、感覚が鮮明になっていくのを少しずつ体感している。
私は今自分の立つあらゆる環境をもどかしいと感じるのだけど、何よりも変えたいのは私自身なのである。


相変わらず考えることはやめられないので、積極的に外に出るための口実のために映画をよく見ている。
どこかでまとめたいなぁ。

2018.07.31

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言語が急に不便になるときがある。
思考に言葉が追いつかなくて、脳内で糸のようにぐるぐる固まる。
非常に気持ちが悪いし、そういう風に言葉が上手く出てこないときは、とにかく悔しくなる。
私には特出した才能がない。
すきなものはたくさんあるけれど、上手くできなくてそれが常にコンプレックスだった。
私の身一つでなんとか武器にできるものっていったら、唯一それが「言語」なのである。
だからこそ、人前で上手く言葉がしゃべれなかったときは、尋常でないくらい落ち込むし、自分には何の価値がないようにさえ思える。
特に最近の私は、使う言語が偏ってしまうので、いざというときに瞬発力が落ちてしまう。
なんとかしたいなぁ…。



近所の騒音が気になってしまう。
隣人の生活音や、配達に来るおじさんの声、隣の家の犬の鳴き声など。
そんなときは、ひたすら音楽で部屋を満たし、すぐに眠ってしまう。
朝になれば、音なんて気にしなくていいから。

2018.07.26

neruyooo.hatenablog.com


このときの生徒から急に連絡をもらった。
といっても、直接ではなく、このとき一緒に行った先生からメッセージが来たのである。

「来年は絶対に会いたいです。先生だいすきです。」
というまっすぐなメッセージに、心が温かくなった。
ああ、意味があったんだな、人との繋がりっていいなぁ、とじんわり胸にしみるのを感じた。




今日とある本を読みながら感じたのだけど、「美」とは何なのだろうか。
わたし自身、コンプレックスの多い人間だと思う。
体型や身体の部位、精神的な部分にまで挙げればきりのないコンプレックスを抱え、それを普段は見て見ぬふりをしている。
特に日本よりも外見主義な韓国に住み始めてから、外見におけるコンプレックスをさらに拗らせた。

「内面の美は外面の美を上回る」というのが、道徳的で良心的な見解であるけれど、でも内面が外見に反映されるのも事実だよなぁ。
内側の美が外にも表れるような、そんな気高く強く美しい女性になるのが生涯の目標であるが、果たしてそんな風になれるのだろうか。
もちろん、外見のコンプレックスは気になるのだけれど、最近は内面を磨きたいなと思っている。

2018.07.25


永遠に続くかと思った地獄のトンネルから抜けられたのは、無理やり帰国した5月のこと。
子どものようにわんわん泣きじゃくったら、すっきりしたのである。
きっかけはそんなことだったけど、トンネルを抜けて見えた景色は以前とは全く違い、嘘のように肯定的に受け入れられるようになった。
元々楽観的な性格だと言われることが多かったが、そういう意味では元の自分に戻れたのかもしれない。


苦しくて重いトンネルの中から、自分という存在と嫌というほど向き合い、また、他者というボーダー、世界とどう付き合っていくべきかひたすら考えた。
結論とはシンプルなものであるが、それに至る過程こそ核心だったのではないか。
今はそれを適用させるために、社会復帰を兼ねて鍛錬している。
地獄の時間を振り返り、それを数少ない他者に零すと、「あなたはその年齢で結論にたどり着いたのね」と言われた。
自分と他者とのボーダーラインにどう付き合うのか、自分をどのようにして受け入れ愛し、また他者を愛することができるのか。
そんなことを考えては、様々な媒体から答えを探す。
知りたいことは本に書いてあったり、歌詞にあったり、誰かの人生の中にあった。
しかし、知っていることとできることは全く別で、まだまだ上手くそれを操れない。
焦ることない。人生まだ25年。いや、正確には24年と10か月。残された時間の方がずっと長い。



放送局でのバイトは、必要以上に人と関わることがないし、仕事内容も自分に向いていると思う。
交通が不便ではあるが、これ以上に条件が良くて自分に合っている仕事を見つけられそうにもない。
来週になれば、新しいビザが発行され、外国人ではなく韓国人という身分を得ることができる。

そろそろ復学の準備を本格的にしなければならないし、なんなら試験の準備だってある。
昨年末からの長いお暇から復帰することは、身体的にも精神的にも容易いことではないが、気合いをいれたい。
夏の暑さを言い訳にするのも、そろそろやめたいな。

2018.04.24


一度、今の自分のことを整理したい。

私は今、学校を休学している。
昨年末に精神的ダウンをしたことをきっかけに、しばしの休養期間を余儀なくされたからである。
私は今日まで、自分の努力なんかではどうにもならないことを学び、今はそれを諦めた状態である。

言葉にするのは苦しい。
自分という存在を惨めに思えるからである。
別に悲劇のヒロインを気取りたいわけではないのだが、自分の人生は今なかなかに悲惨な状態ではないかと感じる。
今の人生まで体験せずにいた「一時停止」の時間は、身体と精神を酷使して走り続けた時間よりも苦痛に思えるのである。


今の生活は、前学期から続けていた研究補助員の仕事と、先週から始めた放送局での翻訳・および字幕つける仕事のふたつで成り立っている。
極力人との接触を避けてしまう今の自分において、社会との繋がりを感じ取れる貴重な居場所である。
前者は全くおもしろさを見出せずにだらだらと続けているのだが、後者はそれなりにやりがいや興味を感じ取りながら今のところ続けられている。
今の自分にとっていちばん苦痛なのが、平日の昼間をどう過ごすかである。
今のところ平日は週5で働いているのだが、この時間になると途端に気持ちが落ち込んでしまい、それに潰されそうになる。
この時間をどういう気持ちでどう過ごすべきなのか、毎日の大きな悩みの種である。


いったいどうして、自分はこうなってしまったのだろう、と毎日追い詰めてしまう。
何を期待して、何から挫折して、今は何を求めているのか。
全くそれらが検討がつかないし、見つけられないのだ。


つらかった時間を絶対に昇華なんてさせてくない。
そんな現実を忘れて、美化なんてしてたまるか。
ひとかけらの意地が今日も私を生かしている。

2018.02.08


気づけば、ここでの生活は3年目が始まっていた。
内臓まで冷えるようなソウルの寒さに慣れているわたしがいて、月日の長さを感じるには十分だったと思う。
あの頃思い描いていた過程とは違っていたけれど、それなりに2年分の時間を重ねたことを実感する。


凪のお暇 1 (A.L.C. DX)

凪のお暇 1 (A.L.C. DX)

つい最近、周りから勧められて読んだのだけど、1ページ1ページ進める手を躊躇したくなるくらい、つらくて痛々しかった。

空気を読みすぎて、誰かに搾取されることが疲れること。
誰かに対する憎しみが自己嫌悪に変わること。
「嫌い」と認めること。
新しい自分になりたいこと。なれないこと。
全てが等身大のわたしの物語で、あの子の物語で、それが凪の物語だった。
完結していないけれど、この物語はどこへ向かうのだろう。
救いを求める気持ちでハッピーエンドを願うけれど、果たして凪はどこへ終着するのか。



夜が明けることがつらい日がある。
夜明けはいつだって希望ではない。
それを知っているからこそ、誰かにやさしくできるのかもしれない。