2017.04.23
教会のある教育課程を修了したら、お祝いにいろんな人からたくさんのお花をいただいた。
私が思った以上に、祝ってくれる人がたくさんいたことに驚いた。
私はいつも、見えないところで支えてもらっているのに、それを見落としてしまうな。
うれしさ半面、申し訳なさ半面。
うーん、私は韓国に来てあまりに「自己否定」をこじらせてしまっているので、なんとかしたいところ。
自覚がある分、治し方がわからないんだよな。
自己受容できない生き方が茨の道であることを分かっているくせに、なかなか治らないから厄介なのだ。
外はこんなに暖かくて、草木も浮かれる春だというのに、どうも思考は重たい方向へいってしまう。
深い底まで考えをめぐらせる前に、とりあえずやることをちゃんとやろう。
先週は頭も体も重たくて、今週はちょっと気合いが必要。
体力がなさすぎることも原因かな、と思いあたり、最近はちょこっと運動もしている。
とりあえず今学期中は続けるつもりだけど、ちゃんと続けられるかな。
2017.04.19
日中はだいぶ暖かい。
最近はダメダメで、外に出れなくなっていたけど、今日は授業があるので久しぶりに学校へ向かった。
身近にいた人が、休学して故郷に帰ってしまったんだけど、実はうつ病にかかっていたことを知った。
衝撃を受けて、そのことを別の人に話したら、「あぁ、大学院だとよくあるよね」と。
よくあるものなのか、とさらにショックを受けた。
思えば、ここ数日間の私は、うつ病の直前の状態だったかもしれない。
とにかく理由もなく落ち込んでいて、やる気が出なくて、かといって休むと罪悪感でさらに落ち込んで…。
という悪循環のなかにいた。
少し落ち着いて自分を客観視できるようになってから、徐々に良い方向に向かっている。
しかし、「うつ」を遠いものだと思っていたけど、こういう段階に沿ってかかるのか。
思ったよりも身近な存在であることも知ったし、あまり焦らずも、良い方向へ向かえるように。
授業終わり、同期と話していたら、同期が「最近やる気が出せなくて、学校に行けなくて、今日も出るか悩んだけど、授業受けたら持ち直した」と話していて、やっぱりみんな同じなのか、と勇気づけられた。
2017.04.16
昨日は友達と会った。
去年から仲良くなり、ここでいちばんよく会っていた友達だ。
もう少しで、フランスに行ってしまう。
バタバタしているので、これが出国前ラストになるかも、と言われて改めて実感した。
一緒にモロッコ料理を食べたのだけど、私は初めてのモロッコ料理だった。
中東料理に関して、いまいち掴みきれてなかったけど、食べてみたらおいしい。
私の味覚にも合うし、わりと量があったのに二人でぺろりと食べてしまった。
この子と話しておもしろいのは、私の見てる世界とこの子の見てる世界は違うんだなっていうことが、はっきりわかるからだ。
もちろん、基本的に人それぞれ価値観が違うことを理解しているけれど、この子といるとそれをガツンと直で感じる。
私の見ているのと違う世界が、新鮮でおもしろい。
もっと色んなことについて、たくさん話したかった。
1年は短い。
とはいえ、たまに韓国に一時帰国するとも言うし、私も落ちついたら隙を見てそっちに行くつもりだし、これで途切れることはない、と思う。
最近の悩みについて、思わぬ形で答えが与えられた。
なるほど、こういうアプローチもあるのか。
なぜあなたは「愛してくれない人」を好きになるのか (文庫ぎんが堂)
- 作者: 二村ヒトシ
- 出版社/メーカー: イースト・プレス
- 発売日: 2014/04/10
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昨年末に出会って、私の考えがスッキリとまとまるきっかけになったこの本のことを思い出した。
元々、二科ヒトシさんの別の著書について、私の好きな社会学者が絶賛していて、気になって手に取ったのがきっかけだ。
経歴が語る人生経験も凄まじいけど、私が驚いたのは、精神分析学・心理学・ジェンダー研究で難しく語るようなことを、もっと簡単な言葉で整理しているのを読んで、「この人は本をたくさん読んでいる人だ」と確信を持ったからだ。
理論書を、自分の言葉で整理できる人はすごい。
この著書も、自己啓発本・恋愛指導書・サブカル本の枠組みで本屋さんにジャンル分けされることが多いけど、それが本当にもったいないくらい、精神分析学・心理学・ジェンダー研究の核心をまとめた本だと思う。
少なくとも私はそう思うし、こういう分野に興味ある人もそうじゃない人にも勧めたい本だ。
苦しい恋愛をする女性は、自分をコントロールしようとするナルシズムが強く、自己受容ができてないからつらい。
社会において、男性の場合は自己受容する「ふり」ができるが、女性はそれができない。
ざっくりとまとめると、こういうことだけど、1冊に簡潔にまとまってるが、内容は濃いので、本当に自信をもって勧めたい。
日本に置いてきてしまったけど、この本のことを考えながら、読み返したくてしょうがなくなった。
まぁ、突きつめて考えようとするとキリがないわけで、もっと割りきって考えられたらなぁ。
たくましいくせに、考えすぎるから、考えることをもっとサボったら生きやすいんだろうなぁ。
2017.04.14
風と雨の嵐が吹き荒れ、早足で家に帰る。
忙しない週末だったなぁ。
私の根っこには、自分に否定的な気持ちが敷き詰められている。
普段は表に出ることはないが、積み重なったそれは、ある日タガが外れたように押し寄せてくる。
私は、幼い頃から両親に褒められた記憶が少ない。
自分ができたことよりも、できなかったことを責められた記憶が強く、自己否定の起源はきっとここだろうなと思う。
これについて、親に対する恨みは、今はない。
今は、というのも、前はあった。
「親に肯定されなかった」という気持ちで満たされた自分自身が可哀相だと思い、親と時間をかけながらこの部分について話し、ほどいてきた。
今では恨みはないけれど、習慣的な自己否定は、理論的に解決できるものではなかった。
と言うものの、私はよく人から「ポジティブだ」と言われるし、自分でもたくましくポジティブな性格だと思う。
肯定的な外面と、自己否定的な内面とは、相反するものだけれど、きっと私の生存戦略だったのであろう。
「大丈夫」「なんとかなる」「やるしかない」「いつかいいことある」と、プラスの方向に合理化させることで、根っこの否定的な自分を明るい方向へ引っぱりだしていたのであろう。
この戦略は成功して、大学生までの自分は、自己否定の固まりと向き合う前に、楽観的ともいえるマインドでなんとか乗り越えてきた。
ところが、去年、ここでの新生活を始めてから、その戦略は上手くいかなくなった。
能天気に「なんとかなる」とは思えない。
死ぬほど努力して、なんとか後ろをついていける。
嫌でも周りと比べ、自分が圧倒的に劣っていることを自覚させられる。
「あぁ、やっぱり自分には何もなかったんだなぁ」と、心の奥で納得してしまった。
既存の生存戦略は通じず、毎日毎日、この自己否定の固まりと向き合うしかなかった。
最近気づいたことは、あまりに私は自分に対してストイックでありたいと思うし、結局それで自分を苦しめている。
「もっと自分自身を褒めてあげなよ」、という言葉にハッとした。
その言葉に少し救われたりもした。
「そうか、褒めてもいいのか」と。
自分に厳しすぎてもいいことないな。
わかっていても、なかなかこの習慣は直らないけど。
「大事なのは結果じゃなくて、過程だからね」という言葉に、天地がひっくり返ったような気持ちになった。
なるほど、目に見える結果ばかり気にしていた私にとって、足りないのはこういうものか。
雨はすっかりあがっている。
明日は晴れるといいな。
2017.04.13
学校帰りに通った道の夜桜があまりにきれいで。
春はこんなに美しい季節なのに、なかなかすきになれない。
というのも、春は憂鬱になるからだ。
ただせえ変化がすきじゃないのに、自分の意志と関係なく変化の波に巻きこまれる。
まぁ、そんなこと言ってる場合じゃないけど。
いいかげん、この憂鬱から抜けられるようにならなくては。
昨日の授業の時間、教授の話が心に響いた。
「勉強するためには、勉強する方法を知らなくてはいけなくて、そのためには自分を観察しなくてはならない」と言う。
私たちはそれぞれ、人によって「学ぶ」状況が違う。
ある人は質問をするとき、ある人は書くとき、ある人は理論書を読むとき…その状況は人によって違うから、まず自分がどういう行動をとるときに学ぶ頭が働くのか、それを知らなくてはいけない。
それと同じく、自分の限界を知らないといけない。
どういうときに学べて、どこまでいけるのか、それを知らないまま闇雲に苦しみながら本を読むのは、ただただ自分がつらいだけだ。
だいたいこういうニュアンスの話だったけど、大学院に入って「勉強」についてはひたすら悩んでいたし、嫌でも向き合わなきゃいけない問題だったから、必要な言葉だったと思う。
大学院の授業で、教授がこういう話をしてくれるのか、と少し衝撃を受けた。
私の場合、普遍的な言葉で書かれた理論書を闇雲に読んでも、頭であまり整理ができなくなる。
理論書読むのが楽だとか、楽しいとか言う人を見るたびに、自分はバカだから楽しくないのか、と落ちこんでいた。
私が学ぶ状況になるのは、本の内容と自分の体験が繋がった瞬間だ。
自分の経験や感情とそれが繋がったとき、ストーンと頭がスッキリし、勉強が楽しくなる。
前学期、苦しみながらもジェンダー研究が楽しかったのも、ナショナリズム研究を積極的にやるのも、私の経験とスッキリ繋がる部分が見つけられたからだ。
「勉強がつらいときにいちばんダメな考えは、それを才能のせいにすることだよ。そんなことない。その方法が合ってないんだよ、自分に。」
自分に対してあんまり悲観的にならなくてもいいのかな。
教授の言葉に、少し前向きになれた。
2017.04.10
学校の桜がきれいで、思わずうっとりと見とれる。
しばらくしてハッとし、携帯で写真を撮るけれど、目で見る感動がなかなか収まらない。
こんなんじゃない、もっと美しいのに。
自分の写真の技量のなさに呆れながら、諦めて携帯を閉まって、また桜を見上げた。
惜しむものは自然ばかり。
ふと、そんな言葉が浮かんだ。
春になると、急に街が色づいて、暖かくて、ワクワクする季節に間違いないのに、どうしてわたしは今こんなに落ちこんでいるんだろう。
もしかしたら今、どん底ってところにいるのかもしれない。
自分がどこにいるかもわからないし、どうしていいのかわからないし、身動きが取れないのだ。
時間が解決してくれるかなぁ。
とりあえず、今は目の前にあることに集中しなくちゃ。
そう頭でわかっても、憂鬱な気持ちがなかなか晴れない。
どうしたものか。
もしかしたら、なにか見落としているのかも。
少し、ゆっくりとした時間がほしい。
そう思っていたところ、教授が来週の授業は休講にすると。
来週はどこか散歩しに行こうかなぁ。
2017.04.09
ソウルでも、桜が見頃である。
素直にきれいだと思う。
満開がもちろんきれいだけど、散っていくのもきれいだし、葉桜もすきだ。
自然っていいなぁと、少し見とれた。
この季節、春の歌を聴きながら、散歩する時間がとても貴重だ。
桜の木に励まされる気持ちは、なんとなくわかる。
もっと何も考えずに、むしゃくしゃと散歩する時間を持ちたいなぁ。
はぁ。にしても、最近いろんな人に心配されていたことに気づかされる。
そんなに不安定に見えていたのか。
正直なところ、かなりキツイのは事実だ。
うん、やっぱりもう少し寝る時間と食べる時間を確保しなくては。
また倒れてしまいそう。