2017.04.13

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学校帰りに通った道の夜桜があまりにきれいで。

春はこんなに美しい季節なのに、なかなかすきになれない。
というのも、春は憂鬱になるからだ。
ただせえ変化がすきじゃないのに、自分の意志と関係なく変化の波に巻きこまれる。

まぁ、そんなこと言ってる場合じゃないけど。
いいかげん、この憂鬱から抜けられるようにならなくては。




昨日の授業の時間、教授の話が心に響いた。

「勉強するためには、勉強する方法を知らなくてはいけなくて、そのためには自分を観察しなくてはならない」と言う。


私たちはそれぞれ、人によって「学ぶ」状況が違う。
ある人は質問をするとき、ある人は書くとき、ある人は理論書を読むとき…その状況は人によって違うから、まず自分がどういう行動をとるときに学ぶ頭が働くのか、それを知らなくてはいけない。

それと同じく、自分の限界を知らないといけない。
どういうときに学べて、どこまでいけるのか、それを知らないまま闇雲に苦しみながら本を読むのは、ただただ自分がつらいだけだ。


だいたいこういうニュアンスの話だったけど、大学院に入って「勉強」についてはひたすら悩んでいたし、嫌でも向き合わなきゃいけない問題だったから、必要な言葉だったと思う。
大学院の授業で、教授がこういう話をしてくれるのか、と少し衝撃を受けた。


私の場合、普遍的な言葉で書かれた理論書を闇雲に読んでも、頭であまり整理ができなくなる。
理論書読むのが楽だとか、楽しいとか言う人を見るたびに、自分はバカだから楽しくないのか、と落ちこんでいた。

私が学ぶ状況になるのは、本の内容と自分の体験が繋がった瞬間だ。
自分の経験や感情とそれが繋がったとき、ストーンと頭がスッキリし、勉強が楽しくなる。
前学期、苦しみながらもジェンダー研究が楽しかったのも、ナショナリズム研究を積極的にやるのも、私の経験とスッキリ繋がる部分が見つけられたからだ。


「勉強がつらいときにいちばんダメな考えは、それを才能のせいにすることだよ。そんなことない。その方法が合ってないんだよ、自分に。」

自分に対してあんまり悲観的にならなくてもいいのかな。
教授の言葉に、少し前向きになれた。