2017.04.14

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風と雨の嵐が吹き荒れ、早足で家に帰る。
忙しない週末だったなぁ。



私の根っこには、自分に否定的な気持ちが敷き詰められている。
普段は表に出ることはないが、積み重なったそれは、ある日タガが外れたように押し寄せてくる。

私は、幼い頃から両親に褒められた記憶が少ない。
自分ができたことよりも、できなかったことを責められた記憶が強く、自己否定の起源はきっとここだろうなと思う。
これについて、親に対する恨みは、今はない。
今は、というのも、前はあった。
「親に肯定されなかった」という気持ちで満たされた自分自身が可哀相だと思い、親と時間をかけながらこの部分について話し、ほどいてきた。
今では恨みはないけれど、習慣的な自己否定は、理論的に解決できるものではなかった。


と言うものの、私はよく人から「ポジティブだ」と言われるし、自分でもたくましくポジティブな性格だと思う。
肯定的な外面と、自己否定的な内面とは、相反するものだけれど、きっと私の生存戦略だったのであろう。
「大丈夫」「なんとかなる」「やるしかない」「いつかいいことある」と、プラスの方向に合理化させることで、根っこの否定的な自分を明るい方向へ引っぱりだしていたのであろう。


この戦略は成功して、大学生までの自分は、自己否定の固まりと向き合う前に、楽観的ともいえるマインドでなんとか乗り越えてきた。
ところが、去年、ここでの新生活を始めてから、その戦略は上手くいかなくなった。

能天気に「なんとかなる」とは思えない。
死ぬほど努力して、なんとか後ろをついていける。
嫌でも周りと比べ、自分が圧倒的に劣っていることを自覚させられる。

「あぁ、やっぱり自分には何もなかったんだなぁ」と、心の奥で納得してしまった。
既存の生存戦略は通じず、毎日毎日、この自己否定の固まりと向き合うしかなかった。


最近気づいたことは、あまりに私は自分に対してストイックでありたいと思うし、結局それで自分を苦しめている。

「もっと自分自身を褒めてあげなよ」、という言葉にハッとした。
その言葉に少し救われたりもした。
「そうか、褒めてもいいのか」と。


自分に厳しすぎてもいいことないな。
わかっていても、なかなかこの習慣は直らないけど。
「大事なのは結果じゃなくて、過程だからね」という言葉に、天地がひっくり返ったような気持ちになった。
なるほど、目に見える結果ばかり気にしていた私にとって、足りないのはこういうものか。




雨はすっかりあがっている。
明日は晴れるといいな。

2017.04.13

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学校帰りに通った道の夜桜があまりにきれいで。

春はこんなに美しい季節なのに、なかなかすきになれない。
というのも、春は憂鬱になるからだ。
ただせえ変化がすきじゃないのに、自分の意志と関係なく変化の波に巻きこまれる。

まぁ、そんなこと言ってる場合じゃないけど。
いいかげん、この憂鬱から抜けられるようにならなくては。




昨日の授業の時間、教授の話が心に響いた。

「勉強するためには、勉強する方法を知らなくてはいけなくて、そのためには自分を観察しなくてはならない」と言う。


私たちはそれぞれ、人によって「学ぶ」状況が違う。
ある人は質問をするとき、ある人は書くとき、ある人は理論書を読むとき…その状況は人によって違うから、まず自分がどういう行動をとるときに学ぶ頭が働くのか、それを知らなくてはいけない。

それと同じく、自分の限界を知らないといけない。
どういうときに学べて、どこまでいけるのか、それを知らないまま闇雲に苦しみながら本を読むのは、ただただ自分がつらいだけだ。


だいたいこういうニュアンスの話だったけど、大学院に入って「勉強」についてはひたすら悩んでいたし、嫌でも向き合わなきゃいけない問題だったから、必要な言葉だったと思う。
大学院の授業で、教授がこういう話をしてくれるのか、と少し衝撃を受けた。


私の場合、普遍的な言葉で書かれた理論書を闇雲に読んでも、頭であまり整理ができなくなる。
理論書読むのが楽だとか、楽しいとか言う人を見るたびに、自分はバカだから楽しくないのか、と落ちこんでいた。

私が学ぶ状況になるのは、本の内容と自分の体験が繋がった瞬間だ。
自分の経験や感情とそれが繋がったとき、ストーンと頭がスッキリし、勉強が楽しくなる。
前学期、苦しみながらもジェンダー研究が楽しかったのも、ナショナリズム研究を積極的にやるのも、私の経験とスッキリ繋がる部分が見つけられたからだ。


「勉強がつらいときにいちばんダメな考えは、それを才能のせいにすることだよ。そんなことない。その方法が合ってないんだよ、自分に。」

自分に対してあんまり悲観的にならなくてもいいのかな。
教授の言葉に、少し前向きになれた。

2017.04.10

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学校の桜がきれいで、思わずうっとりと見とれる。
しばらくしてハッとし、携帯で写真を撮るけれど、目で見る感動がなかなか収まらない。
こんなんじゃない、もっと美しいのに。
自分の写真の技量のなさに呆れながら、諦めて携帯を閉まって、また桜を見上げた。

惜しむものは自然ばかり。

ふと、そんな言葉が浮かんだ。


春になると、急に街が色づいて、暖かくて、ワクワクする季節に間違いないのに、どうしてわたしは今こんなに落ちこんでいるんだろう。
もしかしたら今、どん底ってところにいるのかもしれない。
自分がどこにいるかもわからないし、どうしていいのかわからないし、身動きが取れないのだ。

時間が解決してくれるかなぁ。
とりあえず、今は目の前にあることに集中しなくちゃ。

そう頭でわかっても、憂鬱な気持ちがなかなか晴れない。
どうしたものか。



もしかしたら、なにか見落としているのかも。
少し、ゆっくりとした時間がほしい。

そう思っていたところ、教授が来週の授業は休講にすると。
来週はどこか散歩しに行こうかなぁ。

2017.04.09

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ソウルでも、桜が見頃である。
素直にきれいだと思う。

満開がもちろんきれいだけど、散っていくのもきれいだし、葉桜もすきだ。
自然っていいなぁと、少し見とれた。



この季節、春の歌を聴きながら、散歩する時間がとても貴重だ。
桜の木に励まされる気持ちは、なんとなくわかる。
もっと何も考えずに、むしゃくしゃと散歩する時間を持ちたいなぁ。



はぁ。にしても、最近いろんな人に心配されていたことに気づかされる。
そんなに不安定に見えていたのか。

正直なところ、かなりキツイのは事実だ。
うん、やっぱりもう少し寝る時間と食べる時間を確保しなくては。
また倒れてしまいそう。

2017.04.08

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今日は、大好きなお姉さんの結婚式だった。
東京の教会で出会い、たくさんかわいがってくれたお姉さんで、教会で出会った新郎のことももちろん知っている。
そういえば、新郎新婦、両者知っている結婚式は初めてかもしれない。

たくさんの幸せを見れた。
大好きなお姉さんが嫁に行ってしまったのは寂しいなと思う。素直に。


久しぶりな人たちとたくさん会えて、一日中一緒にいて、いろいろなことを話した。
こんなに心がスッキリするくらい遊んだのは、本当に久しぶりだ。

最近、本当にしんどい時期なのだけど、もう少しがんばれそうなくらいのエネルギーをチャージできた。
私も私の場所でがんばります。



あと、「美女と野獣」を見に行けた。
見たいって思ってたけど、映画見に行く時間がなくてあきらめてたのよね。見れてよかった。

ハードルを低く設定していたからかもわからないけど、想像以上によかった。
トーリーラインを知っているのにも関わらず、ドギマギしながら見たし、ラストもよかった。

「愛とは心の目で見ること」
「瞬間を永遠に残すことはできるのか」
そんな言葉に、心が動くのを感じた。

うん。とにかくエマ・ワトソンの美しさといったら。
「美女」という言葉に説得力がありすぎた。

2017.04.05

昨夜、ブログを更新したあとに悲劇は起こった。

寝る前に確認しようと、発表原稿を開こうとするが、ファイルが開けなくなった。
GoogleNAVERを駆使するが、一向に復旧しない。
吹っ飛んだ、と頭で理解した途端、自分の感情がどす黒く歪んでいくのがわかった。

悲しい、ムカつく、やるせない、諦めたい、泣きたい、辞めたい、許せない、全てどうでもいい、なんとも呼べない感情で溢れた。
頭を抱えて、あまりの絶望に無力感で溢れた。


もう、がんばる理由がわからない。
全て辞めたい。
がんばれない。
休学してしまおうか。

今まで冗談のように口にすることはあっても、初めて本気でそう思った。
泣いて、泣いて、泣き疲れた頃には、私の心の底に残ってた一欠片の意地だけで机に向かった。

徹夜でなんとか終え、頭がふらふらになったし、メンタルは相変わらずやられていたけど、なんとか学校に向かおうとバスに乗る。


シャッフルで再生したある曲を聴いて、心が震えるのを体験した。

思い出せぬ程の 深い痛手と
使い切れぬ程の 高い理想抱け


びしょ濡れになったら 迎えに行くよ
ただ自分の現在地 見誤るな

最後のワンフレーズを聴きながら、涙が流れた。
不思議なことに、音楽が自分の心の温度に触れることがある。

なんとかがんばってやる、と少し晴れた気持ちで学校に着いた。


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ちょうど朝から雨が降っていたこともあったのだろう。
桜が散ってしまわないか、心配になるけれど、そういえば春はいつも天気が悪かった。


発表をなんとか終え、助教の仕事をし、夜はまた授業を受け、帰ってきたのは10時過ぎ。
疲れすぎるとかえって寝れないんだよなぁ。

明日は家から出ないチャレンジをしようかな。
私はもっと寝てもいいと思う。

2017.04.04

前日の夜、急に電源が落ち、そのまま動かなくなった携帯を抱え、朝から走り回った朝。
やさしいお姉さんに復旧作業してもらい、なんとかリセットの状態で直った。
こういう日に限って、教授から連絡がバンバン入り、ますます焦る。


風邪がやっと治った、気がする。
とはいえミセモンジが相変わらずひどいので、マスク姿をキープ。
こっちだとマスクユーザー少ないし、自分もあんまりマスクつけなくなったけど、やっぱりマスクって楽だなぁ。

なんだか最近、顔の左半分が痙攣するようになって、それを隠せるのはありがたい。
原因がストレスだってわかっているし、ストレスの原因もわかっているけど、こればかりはしょうがない。
まぁでも、先週の風邪で崩したペースを、やっと取り戻せるようになったかな。


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SNSで友達が桜の写真をあげているのを見て、春を知る。
もう桜の時期か、と思って見上げると、私の周りにも春は来ていた。

春が来るたび、『春が二階から落ちてきた』という、すきな書き出し文を思い出す。
たしかに、夏秋冬とちがって、春は急に落ちてきたかのように風景を染める。
バスに乗り、外を見ながら色づく街並みに見とれた。


さて、明日も発表なわけですが、ここまで来ればかかってこいやくらいのメンタル。
言語や学術的なスキルがあがっているのかは不明だけれど、たくましさ・開き直りは確実に鍛えられている。
今学期はまだひと月しか経ってないのに、発表はかなりやっている。
とはいえ、私はただでさえ「読む」のがいちばん苦手なのに、「読みながらしゃべる」ことは本当に苦行だ。
ちゃんと読むのを練習してから寝るべきか。