2017.05.22
怒涛の週末を終えて、ふらふらでまた今週が始まった。
金土一泊二日の学会は、思ったよりも楽しかったし、期待したよりも良かった。
発表自体も勉強になったしおもしろかったけど、こうして研究室の人たちと外泊するのが初めてで、夜はほぼ合宿のように騒いで、いろんなことを話した。
普段一緒にいても話さないような話をたくさんできたし、たくさん聞けた。
10月は済州島で開催するらしいから、またこうしてみんなで行けたらいいなぁ。
とはいえ、体力がつくづくないことを実感。
土曜日は帰宅してから死んだように寝たのに、日曜日一日中動いてたら、今日は一日中とにかく体が怠くてつらかった。
なんとか体を引きずって授業に出て、食欲なくてもごはんを詰め込んだ。
どうして大学院に来て体力のなさに手を焼いてるのか考えたけど、運動が嫌いだし運動をきちんと習慣としてやったことはない。
しかし、思えば中高生のときは自転車登校だった。
運動といえるかはともかく、それなりに私の体力を支えていたんだなぁと実感。
大学生のときは、体が怠くてしんどかったら、回復するまで休める時間があったけど、今はそういうわけにもいかないし。
とにかく、なるべく体を動かすことと、栄養を意識することでどうにかしたい。
論文学期のときも、とにかく体力勝負だからなぁ。
2017.05.18
激動の週のど真ん中。
今日はぐったりして、一日中家の中で休んだ。
というのも、課題がとにかく多すぎる。
水曜日の夜の授業は、教授がとにかく厳しいのわかっていて必然ときつくなるのも事前にわかっていたけれど、問題なのは残り二つの授業。
大学院だから、そもそも大学の講義のように「楽単」は存在しないのだけど、私は水夜の授業に比重を置き、残りは比較的軽い授業をとってバランスをとったつもりだった。
その「軽い」という基準は、「毎週の課題・発表のない授業」で、月の授業は1学期のときにとってた経験談から、水昼の授業は先輩たちの話から情報を知り、まぁもちろん前提として自分が興味あって取りたいと思ったことは本当だけど、そのうえで「これなら水夜の授業がきつくてもどうにかなるかな…」ととったものだ。
だがしかし、今学期はなぜか前例と話が違う。
まず月曜の授業は、学生が少ないせいか、毎週発表をやらされる。
水曜の授業は、全員1回ずつ発表終えたあと、最近は毎回出す課題が増えた。
教授の気まぐれなのか、予想以上の重圧になって、同じような履修スケジュールの人とひぃひぃ言っていた。
水夜の授業は当たり前にきついし、夜9時までの授業が、昨日は10時に終わり、みんな虚ろな目で帰宅した。
こういうような話を友達にすると、「私、大学院入学も考えていたけど、あんたの話聞いてたらやめたほうがいいなって思ったよ」という声を何回か聞いた。
私の話が有益がどうかはともかく、大学院進学を迷う人に対して私がいつも話すのは、「大学の延長ではなくて『研究者』という立場になるので、明確な研究テーマが必要なこと」「オン・オフのない労働かつ、アルバイトするのも難しいのでとにかく貧しいこと」「飲酒・喫煙より健康に悪影響なこと」である。
とはいえ、マイナスなイメージばかり植え付けたいわけではないのでメリットも挙げる。
大学までの勉強よりずっと、広い枠組みで深く学べるので、世界を見る観点が変わること。
教授ももちろん、周りも優秀な人が多いので、おもしろい話がたくさん聞けること。
あとはまぁ、こんな限界まで勉強に没頭するのって、あとにも先にも今なのかなとも思う。
今のところ、私が思うメリットはこれかな。
今後、この項目にもっと付け加えられるといいけど。
さて、明日明後日は学会があって、ソウルから離れているので外泊だ。
とはいえ、そんなに離れているわけでもないから、どうせならもっと旅行気分で行きたかったけど、研究室の人たちと行くのでプチ・合宿状態。
学会自体は力を抜いて聞けるので、ちょっとリフレッシュになるといいな。
発表の内容も楽しみだし。
なんとか激動の今週をクリアしたいと思うけど、まぁこれが学期終わりまで延々と繰り返されるところまで来たんだな。
せめて早めに寝よう。
2017.05.15
バタバタしていることから、すっかり期末の時期が近づいていることを自覚する。
そろそろ逃げられない閉塞感で苦しくなる。
とまぁ、初っ端から暗いことをいうけれど、覚悟決めて乗り越えるしかないわけで。
ここ最近いろいろあったけど、気づいたのはどこまでも私はなんでもかんでも自分ひとりでやり遂げたがる性格であること。
別に人と過ごすのが苦手とか、すきじゃないというわけではないのに、いつどんな状況でも「私ががんばらないといけない」「私が」「自分で」と他の選択肢が思いつかないこの思考こそ、個人主義の形ではないのだろうか。
うーん、損な性格。
ていうより、自分をどんどん追い詰める性格だと思う。
まぁなんとか、暗闇からは這い上がれたわけだし、この感覚を忘れちゃいけないな。
忘れてしまったら、また同じ過程を繰り返さなくてはいけないんだから。
最近、朝型生活を復活させた。
やはり私は夜より朝の方が頭が冴えるし、健康的に考えてもそっちの方が絶対にいい。
夜にだらだらするより、朝動いた方が時間も有効活用できるし。
というわけで、日付け変わる前に寝て、さっさと起きててきぱき動くようにします。
今週は生きて残れるかわからないな。
がんばるしかないか。
2017.05.11
午前、研究室でパソコンを開くと、壊れていた。
昨日の夜まで使ったのに、そのときはなんとも異常はなかった。
思わぬ自体に慌て、サービスセンターに駆け込んだ。
結果は、3万ウォンの出費で初期化だった。
大事なデータはほとんどUSBにあるから、大きな損害はなかったとはいえ、非常にぐったりしてしまった。
数年に1度あるような出来事が、ここ数ヶ月にギュッと凝縮されているようだ。
発表ファイルが飛んでいったり、携帯が急に壊れたり、電子機器のトラブルが続いている。
電子機器がないとなにもできない時代に生まれてしまったことを、思わず嘆いてしまいたくもなる。
精神的にも身体的にも疲れてしまったけど、まぁ新しい一歩だと思って。
みんなにも言われたけど、期末のときや論文学期のときでなくて、本当によかったと思う。
今週末もバタバタするなぁ。
一歩進んで二歩下がる毎日がもどかしいけど、いつか進むと信じて。
2017.05.09
大統領選挙で荒れる、本日の韓国。
喧騒を避け、静かなカフェで本を読んで過ごした。
この歳になると、身内と政治思想が合わないことの切なさを思い知る。
まぁ、しょうがないんだけど。
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今日読んだのは、島本理生さんの『ナラタージュ』。
言わずと知れた代表作で、映画も公開される。
個人的に、この作品は私の趣向とは合うわけではないけれど、それでも文字から放たれるエネルギーには圧倒される。
島本理生さんの「痛々しさ」「切実さ」「不安定さ」といった作風が、分かりやすく反映されていると思われる。
葉山先生のことも、小野くんのことも、私は彼らの弱さを許容することはできない。
彼・彼女の痛々しさは、そこに引っぱられすぎてつらくなる。
でも同時に、この弱さこそが魅力的に映って惹かれてしまうんだろうな、と悟ったように思った。
私はこの作品のような、心と身体が擦り切れるほどの恋をしたことがないが、読みながら過去の記憶に引っぱられていった。
いちばん最後にすきだった人は、清潔で一見安定した好青年だったのだけど、彼を知る過程でその実かなり不安定で繊細な人であることを知った。
私はそのことで幻滅をしなかったが、自分の弱さに敏感なのは彼自身で、彼はそれを許せずにいた。
今思うと、同じエネルギーの好意で返されなかったとしても、手を伸ばすような言葉をかけることができたのではなかっただろうか。
こんなことを思っても、あのときの私は自分の気持ちを扱うので精いっぱいで、結局自分のことしか見れてなかったんだろうな。
はっきりと言えるが、私はこのときの恋心に未練はない。
あまりにも気持ちのバランスが合わなかったし、見ていた方向もまるで違ったのが、はっきりとわかったからだ。
それでも、私が彼に惹かれていたことは紛れもない事実だし、それを肯定的に捉えられるような、そんな作品だった。
登場人物の自己陶酔っぷりを見ながら、過去の自分を思い出して赤面したくなる。
この作品が愛される理由もわかる。
なんだか、内面のことを詳細に書くことは慣れていたし抵抗もないけれど、恋愛に関して(ぼんやりとだけど)書くのは初めてで、文字を叩く指が少し躊躇してしまった。
私は自分でも惚れっぽい性格だという自覚があるんだけど、そんな私が1年以上「気になる異性」がいないのが新鮮だ。
生活に刺激やときめきがなくてつまらないなという気持ちもあるけど、そういう存在に引っぱられない時間も必要なのだろう。
まぁ頭でわかっていても、恋愛小説に触れると恋愛したくなる気持ちになるのだけど。
うん、気軽に待つよ。
2017.05.08
神様が大地と水と太陽をくれた
大地と水と太陽がりんごの木をくれた
りんごの木が真っ赤なりんごの実をくれた
そのりんごをあなたがわたしにくれた
やわらかいふたつのてのひらに包んで
まるで世界の初まりのような
朝の光といっしょに何ひとつ言葉はなくとも
あなたは私に今日をくれた
失われることのない時をくれた
りんごをみのらせた人々のほほえみと歌をくれた
もしかすると悲しみも
私たちの上に広がる青空にひそむ
あのあてどないものに逆らってそうしてあなたは自分でも気づかずに
あなたの魂のいちばんおいしいところを
私にくれた谷川俊太郎
「魂のいちばんおいしいところ」
メンタルがどん底のときに、ただ私が話す言葉を静かに聞いてくれた。
泣くことを許してくれた。
魂のいちばんおいしいところを受けとった。
谷川俊太郎さんのこの詩こそ、私の知る愛の美しい姿だ。
温かくて眩しい詩。
今日はこの言葉のような、温かくて眩しい言葉を受けとった。
いろんなことはあるし、私はきっとこれからも負け続けて、メッタメタに落ちこむであろう。
そんな私にも、一筋の光どころか、太陽のような言葉をもらった。
負け続けても、がんばります。
2017.05.04
昨日はちょっぴり遠出をした。
ソウルから出たのはいつぶりだろう。
まじめに考えると悲しくなるけど、たぶん学期始まって以来初めてなのかな。
ソウルを出るのも一苦労。
友達と目指したのは、ソンド(松島/송도)という開発都市で、仁川空港の近く。
国が投資して開発を進めているのは知っていたけど、行ってみたら期待以上に良くて驚いた。
特に気に入ったのは、セントラルパークという大きな公園。
かなり大きくて、一周ぐるりとしただけで友達もわたしもぐったりした。
今調べてみたら、東京ドーム9個分の大きさらしい。
そりゃぐったりするか。
都市の中に自然がたくさんあって、とにかく癒された。
友達ともたくさんのことを話したし、何より一日中リラックスした状態で日常から抜け出せて本当によかった。
公園でたくさん写真も撮ったのだけど、久しぶりのフィルムで撮ったので、写真は手元にまだない。
現像にもっていくのも、待つのも楽しみだ。
ようやく、連休らしい一日を過ごせたのかな。
家の近くにも、自然に囲まれた公園があればいいのに。
なによりも、ソウルの空気さえ良ければ。
気のせいでも大げさでもなく、ソウルに戻ってきたとき、咳が止まらなくなった。