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2016.12.06

昨日、授業ひとつが閉講した。
他学科の授業で、私ひとりだけアウトローだったやつ。
たまにめんどくさい課題があったりはしたけど、基本的にリーディングも課題もなくて、思ったよりも気軽に受けていた。
なによりめんどくさかったのは、チームプロジェクトで進行するから、超個人主義の私にとってはそれが一番ストレスだったり。
とかいいつつも、いい人たちだったし、この授業を受講してよかったなと思えた。

まぁ、他学科っていうか、経営学科の授業なんだけど、私の所属する社会科学系の学問では、こてんぱんに批判する対象の代表が、政治・宗教・経済なわけで。
教授が授業の最後に、「君たちは『経営者』と聞いて、どういうイメージを持つ?」と聞いた。
私は当然、マイナスなイメージしか浮かばなかったのだけど、教授は「経営学専攻している人はみんな、肯定的なイメージしか持たないんだよね」と言った。
この教授は、私の学科のある教授と親交が深く、その教授の授業に行って講義したことがあるらしく、その話をし始めた。
そして、「君たちは知らないと思うけど、社会学科とか人類学科とか社会科学系の人は、経営学に対して否定的なイメージしか持ってないんだよ。そこで講義したとき、生徒たちの視線が冷たくてすごかった」と、私を見ながらにやりと笑った。
経営学科の学生たちは、みんな苦笑といった感じで笑ったけれど、その様子が簡単に想像できてしまう私だけ、ひとりで大きく笑っていた。

社会科学系と経営学・経済学の間の溝の深さを、大学院に来て実感していた。
社会科学では批判の対象で、敵対意識をもつ人が多く、反対にあっち側はこちら側をあまりにも知らないし、そもそも無関心だ。
そういう溝があったからこそ、この授業で若干の「居心地の悪さ」を感じていたけれど(そしてこの「居心地の悪さ」がなんなのか、あちら側はわからないし想像もできないこともわかってしまうからよりいっそう空しい)、ひと学期終えて、理解しあえなくても、歩み寄れることを実感した。

授業を終えたあと、教授のおごりでみんなでごはんを食べに行った。
ここに来て、閉講後はみんなで打ち上げするのが当たり前なんだけど、韓国の文化なのか、大学院の文化なのか。
私だけアウトローと言ったけれど、それでもクラスの人数が少ないので、基本的にみんなでよくしゃべった。
私と同じように、外国育ちの韓国人が何人かいる。
その中でも、中国育ちの彼が、「親近感がわく」といろいろな話をした。
「俺のこと、韓国人に見える?中国人に見える?」と聞いてきた。
周りは「こいつ、状況によって韓国人になったり、外国人になったり立場コロコロ変えるんだよ」と笑っていた。
「外見でいえば、中国人っぽい雰囲気あるけど、二分法的に考えなきゃだめなの?だって、あなた中間でしょ」と言ったら、彼は目を丸くして驚いたあと、嬉しそうに笑った。
「さすが。よく分かってる。そう、俺は中間だから」と。

人類学では特に、一般化せずに多様性をそのまま受容することが当たり前なんだけど、普通学問では、一般化・普遍化のツールで考えなければならない。
特に考えずに発したわたしの言葉が、外の世界で誰かの胸に届いたことを体感できた。
こういう瞬間のために、必死で勉強してきたのかな、と肯定的に考えられそう。

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まぁ、私と経営学者との一方的な温度差には、長い歴史がある。
ずっとその温度差について、消化ができなかったけど、今回の授業の一番の収穫は、それを克服できる知恵を学べたことかな。