2017.05.29

自分の癖というべきか。
私は、いちいち人の言葉に耳を傾けては真に受け、些細な言葉にも神経をとぎらせてしまう。
そんな大袈裟に捉える必要なんてないのではないのか。
そんなことを考えた。

もちろん、会話をする以上、人の言葉に耳を傾けることは必要だけど、私の場合過度に受け止めてしまう癖がある。
私のやっている学問自体、小さなものを大きく、簡単に見えるものを複雑に捉えるのだから、その影響もありそうだけど。
いちいちそんなことしてたら、それこそ心が病んでしまうな、とやっと気づけた。


今日は、教授と面談をした。
目的は授業の期末についての相談だけど、最後にさりげなく、「このテーマで修士論文書きたいんですけど、先生に指導教授をお願いできますか?」と聞いた。
少しおどけた受け答えをしながらも、「とりあえず期末をがんばってから考える」と言われた。

この教授は、初めて会ったときからずっと、私にトラウマに近い衝撃を与え続けた人物だ。
私はずっとこの教授が苦手で、避けたくてしょうがなかったけど、やはり授業を受けるたび、私が論文を書くにはこの人が必要だと思えた。
直接、研究に関する相談をしながらも、いかにこの教授の知識が豊富であるのか、そしてそれを捉える感性が研ぎ澄まされているのか、驚かされた。
私は学期末のたびに、様々な教授を訪ねて研究の相談をしてきたけれど、この教授は私が1を言えば10を理解して、私が進めたい方向を整理しながらその道を見せてくれた。
やはり、この教授の下で学ぶことが、今の自分にいちばん良い選択なのだろう、そんな確信も得られた。

そしてなにより、入学前以来にこの教授の研究室を訪ねて、1対1で個人的なことをたくさん話したが、私がいかにこの教授を「人間」として見ていなかったのかを実感した。
この教授の発言や態度が過激で、様々な学生に恐れられているのも事実だけど、それ以上にこの教授の人情に支えられ、心から尊敬している学生がいるのだ。

いろいろなことを思ったけれど、結論は自分の努力次第かな、と久しぶりに研究に対して積極的なマインドを取り戻した。
これから先、何度も学業に対して挫折するだろうけど、そのたびにこの気持ちに帰りたいなと思えた、そんな日だった。


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夜は、東京の教会で仲良かった人たちと会った。
東京で会ってた人と、ここソウルで会うのは、何回経験しても不思議な気持ちだ。

いろいろなことを話せて、本当によかった。
なにより、私のいちばん楽な言語は「한본어(韓本語)」で、みんなも同じだから、本当にすきなだけしゃべれた。
日本にいるときは日本語だけで会話するのに問題なかったけど、日本語だけ使うとなるととっさに単語が浮かばないことがよくあるので、ごちゃ混ぜでしゃべれるのはありがたい。



すっかり夏だ。
日中はぐったりするし、蚊に刺されてしょんぼりする季節。