2017.02.10

私はもともと、映像よりも圧倒的に活字派であるし、むしろ映像は少し苦手だった。
単純に目が疲れるというのもあるけれど、流れるスピードとその情報量に追いつけなくなってしまうのだ。
影響を受けやすい私は、なにかひとつのものを消費したとき、しばらくそのもので頭がいっぱいになってしまうのだけど、映像の場合その処理に疲れてしまう。
活字の場合、自分のペースで処理ができるけれど、映像の場合はどうしても受動的になる。
そういうわけで、映画やドラマはあまり見ないし、娯楽として楽しむメディアはめっきり活字媒体だ。
テレビを見ない理由のひとつも、映像作品が得意じゃないのもあると思う。

ところが、去年から本格的に社会科学の世界に足を踏み入れ、「文化人類学科」として人間の営む文化や社会を学ぶなかで、大衆文化という概念について考えさせられることが多かった。
時代を映す窓である大衆文化を紐解くたび、「なるほど」と納得することも多かった。
また、周りの人間があらゆる形で大衆文化を積極的に消費していた。
テレビを見ない私に対して、研究室の先輩に「『文化』を研究する人間が、大衆文化を知らないとだめだよ」と言われたこともあった。

そんなわけで、昨年末あたりから意識が変わり、今年から少しずつ映像にも関わっていきたいなと思うようになった。
去年1年間で見た映画はたった2つで、それも機内で見たものだ。(ちなみに『Sing Street』と『Brooklyn』)
これに関してはさすがに危機感を覚えた。
あとは、久しぶりに日本のドラマをリアルタイムで見るようになった。
複数を同時に見るエネルギーはまだないので、やっと一本なのだけど、これまでの自分を考えるとこれだけでも大きな変化だ。


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という長い前フリを踏まえて何が言いたいのかというと、今日は『君の名は。』を見た。
日本にいるときは見れなかったので、韓国でやっと。
日本で話題になっているときは、「絶対にあとで見るから、絶対にネタバレを踏まない」と決めて、インターネット不審にもなりかけた。

簡潔に感想を書くことは難しいし、ましてや誰が読んでいるか分からないこの場所でネタバレに触れることも躊躇わされる。
私は劇場でたったひとり、鼻をすすりながら泣いていたし、一緒に見た相手には「なんで泣いているのか解説しろ」と説明まで求められた。
まぁ、見ていて感じたのは、日本語を知らなくては理解できない言い回しやセリフが多かったし(字幕はがんばってたけど)、日本の文化的背景を瞬間瞬間に理解させるのは難しいだろうということ。
韓国でも好評だというし、海外でもヒットしていると聞いたけど、日本語を一切知らない人たちがどこまで理解できるのかは分からない。

良い映画だったと思う。
同監督作品を視聴したことがあるけど、それらを踏まえての今作で伝えたかったことを考えると、胸が熱くなった。
「結ぶ」というキーワード。

あとまぁ、情緒不安定な私は、東京の映像が流れるだけで涙腺がゆるんだ。
思い入れが大きすぎる、私にとってあの場所は。
東京ではない、ここソウルで東京を見ていることを思うと、また涙腺がゆるんだ。


去年一回も劇場で映画を見ていなかった私が、年明けから二本目で、さらに来週もうひとつ見る予定だ。
楽しみながら、映像との距離も縮めていきたいな。
もちろん、活字は相変わらず好きなので、こっちも自分のペースで。
読み終わった本も溜まっているので、それもそのうち言葉で整理したいな。