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2016.12.07

Master-2nd semester

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期末時期は追い込まれて余裕がないからか、集中力もあがるし、頭の回転もよくなる。
普段からこのくらいできてたら、今こんなにひーひーしなくてもいいのに、と思うけれど。

読書というのは、本を読んで内容を理解することだけど、学術体系においての読書は、「消化したものを自分の言葉で説明できること」までを指すのだと思う。
文字を書くためには、参考にする本たちをちゃんと理解しなきゃいけないし、読んだことある本でも、上の作業を通して、いかに自分が理解できてなかったが分かるし、そしてずっと整理できなかった部分がすーっと理解できるときがある。
理論が理解できたとき、理論と現実が結びついたとき、頭の天井が抜けるような感覚がある。
ある学者は、この頭の天井が抜ける感覚の快感と中毒によって、果てしない道でも、たえず研究することができると言ったが、なるほどこういうことかと実感した。
授業で教授が言っていたこと、本を通して研究者が言っていることが、長いスパンをかけてやっと理解できるようになった部分がある。
私はもともと頭がいい人間ではないので、周りの人間よりはるかに長い時間がかかってしまう。
研究し続けることは、終わりが見えないし、自分の思考をずっと苦行の過程に置くことなので、それに苦しみながらも、学術の道を選ぶ先輩が多いことがずっと理解できなくて、疑問に思っていた。
が、なるほど。私よりもはるかに思考力のある人たちは、何回もこの感覚を味わっているのだろう。
いかにやみつきのある快感なのか、やっと理解することができた。
といっても、私はまだまだだけど。

それは何?思うに、いや知っているといったほうがいいかもしれないけど、それは生き残ることについてだ。トラウマや喪失、苦しみや痛みや、そうしたもろもろのもののなかで自分を見失うことについて。自分を回復する道を見つけることについて。正気を取り戻し、何も考えたくないという思いと決別すること。自分自身や自分の過去を、そして将来も現在と変わらないという可能性を、認めない、認めたくないという気持ちを越えること。それが、わたしのパフォーマンスの意味だ。

全文載せたいくらい、読んでいて心を動かされた一文だ。
モーハンティー『境界なきフェミニズム』の文中で登場した、アフリカ系アメリカ人のフェミニスト活動家・ヤンセ・フォードの言葉だ。
個人的に、モーハンティ―は尊敬する学者のひとりだし、この著書も私に多くの感銘を与えた。

結局、私があらゆる形で「書く」作業をしていることの目的は、自己肯定をしたいんだろうな。
あわよくば、私のような人に希望を見せたいという思いも。
どのような形であれ、それは『人生をかけた闘い、人生のための闘い』だし、そして他の道があっても私はそれを選択するんだろうな。