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2016.11.26

Master-2nd semester

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今日、ソウルでは初雪が降った。
ここ最近はずっと氷点下だったから、「そういえば初雪か」くらいの認識で、あんまり感動はなかったけど。
寒さの攻撃力があがったので、ますます憂鬱になりたくなった。


ここ最近はずっと、毎週土曜日はデモ集会が開かれている。
この前は参加人数が100万人突破したというし、どんどん参加人数は増えるだろうといわれている。
それだけ衝撃が大きく、国民たちは感情を示す場所を探していたのだろう。

集会場所が近所なだけに、私にとっては単なる「政治的な出来事」ではない。
話題が話題なので、慎重になる必要があるし、なんなら沈黙が一番かもしれないけど、それでもここ最近ずっと考えていたことだ。
交通規制が入るので、ここ最近外出を控えるようになったのは確かだ。
学校に行くにも、他の場所に行くにも、公共交通機関が麻痺すること、動いても人が集中して不便が生じることを考えると、徒歩圏外に出かけることをあきらめてしまう。
家では勉強ができないので、近所のカフェで勉強することになるが、そこにも集会に参加者が集まるようになり、店内が騒がしくなる。
単に騒がしくなるならまだしも、トイレだけ利用しに来る人も増える。
私はアパート内にあるカフェをいつも利用しているのだが、普段は住民しか利用しない、とても落ちついた場所だ。
ところが、毎週土曜日はカフェだけでなくアパート内の他施設にも、集会参加者が集まるようになり、かなり不便な思いをしているのは事実だ。
今日見たら、それまでトイレに鍵を設置していなかったのにも関わらず、新たに鍵を設置し、注意の紙まで貼られている。
実際、こういうことは報道では見えないが、事実起こっていることだし、近隣住民が迷惑だと思っているのも事実だ。
これに対してモヤモヤしているものの、実際にこれについて触れるのは勇気がいる。

集会自体の意義について、正しい行動なのかどうかの判断はできないし、それを追求する必要もないと思う。
だけど、こうして語られない部分が存在することについて、モラルを考えるようになる。
だからこそ、人間が正義を語ることは難しいし、語るべきではないのかなとも思う。
正義の使い方について、私も私のやり方を探している途中だけど、そのときも見えない部分を配慮できる余裕を持たなきゃいけないな。
ニュースで流れる、光の海を見つつ、そんなことをじっと考えてみた。


久しぶりに堅苦しいことを語った気がするけど、今日1日でessayを4本仕上げたせいで、頭が凝り固まっているのかもしれない。
なにごとも、過度に考えすぎず、適度に調節できたらいいんだけど、どうしてこうも難しいんだろう。