2016.07.28

最後の授業の日。
といっても、今日はテストだけだったけど。
1か月コースはあっという間だなぁ。

テストおわりは、クラスメイトのチャイニーズとジャパニーズとごはんを食べた。
英語だけだと会話が難しいから、英語・韓国語・日本語・中国語が飛び交った。
色んな言語を合わせて会話する感じ、なんかなつかしい。
まだ韓国語が拙かった頃を思い出す。



どこに行っても、室内は寒くて、思い切って外で読書をした。
学校のベンチに座り、お菓子をつまみながら、優雅な午後を過ごした。

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ひとりでピクニックするみたいで、楽しかった。
こういうのも、たまにはいいかもしれない。

そして、読んだ本はトルーマン・カポーティの『草の堅琴』。

草の竪琴 (新潮文庫)

草の竪琴 (新潮文庫)

上の装丁が一般的だけど、実際に読んだのは、下の装丁。
今確認したら、翻訳者も違う。

前回読んだ『誕生日の子どもたち』と一緒で、カポーティの少年時代の自伝的な意味が強い。
のっけから切なくて、夢中で読んだ。

「何を言ってもいい人のことさ。そんなものを欲しいなんて、僕は馬鹿か。しかし、ああ、正体が見破られるのがこわくて、お互いから匿れるのに使う精力だ。だがここでは僕らは正体が見破られている。樹上の五人の馬鹿だ。使い方さえわかれば非常な幸運といえる。つまり自分が呈する絵を気にする必要はもはやなく、真の自分の姿を見出す自由がある。僕らを追いだせる人はいないことが判ったらなぁ。自分自身の不安定性のために人は相違を否定しようとする。きれぎれに、僕は今まで他人にゆだねた。船の渡し坂を降りて消えた人、次の駅で降りた人。一しょになると彼らはかけがえのない人になったろう。しかし実際は、百もの別々の通りを十二の異なった顔をして彼は行くのだ。僕にとって今が彼を見付けるチャンスなんだ。」

「あたい金魚飼ってるけど、それは金魚が世間を好きにさせないからよ。好きなこと話しても、傷つけることしかできなかったり、忘れるのが一番好いことを持ちだしたりすることになるのよ。もっと沢山のことを一人で秘めておかなくちゃね。奥底の自分自身の部分、そこが良い部分よ。自分の個人的なこと言いふらしてあるく人に何がある?」

宝物にしたい言葉が、どんどん増えていった。
最初から最後まで、きれいで美しい作品だった。
カポーティ好きな人が、ことごとくこの作品を勧める理由がわかった。