2017.06.12

探しもののため、昔使っていたメールアドレスのアカウントにログインをした。
それは主に中学生の頃使っていて、私はその頃インターネットを通じて知り合った人たちとよくメールのやり取りをしていた。
中学生の私は、まぁほとんどの人がそうであるように黒歴史であり、いちばん人間関係が上手くいっていない時期だった。
だいたい、中学生の頃から、わかりやすくグループや派閥ができて、カーストが可視化する。
私の地元は幼稚園から一緒の人が多くて、小中学校はそのまま持ち上がりだし、ほとんどの人と仲はよかったし、別に嫌なことされたりはしなかった。
でも。中学生からの明らかにカースト制や派閥制に馴染めなかった私は、学校では心を閉ざして適当に付き合って、インターネットの人と親しく過ごすようになった。
同じ年頃で、なおかつ趣味が合う人と画面越しの関係は、そのときの私には心地の良いものだった。
今の自分が改めて当時の文面を読みと、あまりの幼さに赤面してしまう。まぁ10年も前だから、しょうがないんだけど。

そのとき仲良くしていた友達とは、高校にあがって以来パタリと連絡をとらなくなった。
高校に入って友人に恵まれたことによって、画面越しの友人も必要としなくなった。
ひとりひとり、名前や年齢を正確に覚えているわけではないけど、当時のやり取りを見ながら懐かしくなった。
今や連絡を取る術をもたない人たちだけれど、あの頃の私にとって大事な友人であったのは間違いがないからだ。


それと同じく、当時母がひとりで韓国に長期滞在していた時期があった。
その頃の母と私のメールのやり取りもでてきて、笑ってしまった。
当時の私がいかに稚拙でわがままだったのか。
当時の母がいかに大きな愛で包んでくれていたのか。
どうしてその頃は、愛情だと認識することができなかったのだろう。
これも黒歴史に間違いないんだけど、懐かしくてスクショして母に送ったら、母もすっかり忘れていたようだ。
まさか10年後、私がひとりで韓国にいるとは、当時想像もできなかったね、と話した。

なるほど、メールがサーバーに残っている限り、タイムカプセルのようにもなるのか。
LINEやKAKAOTALKだとこうもいかないよなぁ。
母と「たまにはメールでもやり取りしようか」と決めた。
きっとこの時間もあとで、懐かしく、愛しく思う日が来るのだろう。

私は、インターネットのこういうところが好きだったんだなぁ。
特に私が中学生だった、10年ほど前の頃は。
今やインターネットは身近なものになったけど、当時はまだ今とは違う文化があったんだもの。
友達とのメールで、「何時に集合ね!」とチャットのURLが貼られていたりして、本当に懐かしくなった、
インターネットも随分と変わってしまったなぁ。


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友達がこの前送ってくれて、増えたヲタクコーナー。
休みになったらデスクもちょっと整理しないとなぁ。
そしてうれしいことに、8月は本物に会えそう。

その前に、期末をきちんと倒そう。

2017.06.08

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友達を引き連れ、インタビューをしようと入ったカフェには、美人な白猫が2匹。
顔がスッとしていて、2匹ともマイペースなくせに人懐っこかった。
かわいさに人間はノックアウト。
学校からも近いので、定期的にこの子たちに会いに来たいなと思う。


そんなこんなでインタビューは、たくさんの話を聞けてよかった。
毎学期少しずついろんな人にインタビューを実施しているけど、元から知っている人も、知らない人も、本当にたくさんの話を聞ける。
その人のことをわかっていたつもりでも、新しく聞く話や、思わぬ内面を覗くことができて楽しい。
人の内面に触れることは、神経を遣うし、気が参ることもあるけれど、この過程をとにかく大切にしたいと思う。


「論文に自分のことは書かないの?」と聞かれた。
散々人の話をぶち込みながら、私は自身の経験をいれたりはしない。
ethnographyにも、「自己民族誌(記述誌)」という種類はあるけれど、それを書くつもりはない。
論文だから、自分のargumentをはっきりと書くし、それが自分の経験を直接書くことじゃなくても、私にとっては自己を見せることと一緒だと思っている。
だからといって、自分のことを話すのが嫌だとかそういうわけではない。
聞かれたら話すし、それ自体に抵抗はない。

ただ、自分のことを記述するとしたら、それは論文以外の形がいいなと思っている。
それがこのブログのような形かもしれないし、また別の形かもしれない。
いずれひとつの形に残したいとは、ひそかに思っている。


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昔、だいすきな友達と食べたものを、別の友達と食べた。
あの子は今頃、どこで何をしているんだろう。
何を考えているんだろう。
不思議なことに、いつでも連絡ができる今よりも、連絡手段なんてもたなかった昔の方が、あの子を近くに感じる。

2017.06.06

体が重たくて、なかなかベッドから出られない。
なんとか起こすものの、今度はなかなか朝の支度ができない。
今日は家で過ごすか?と脳裏に浮かんだ考えも、勉強道具を研究室に置いてきたせいでそうもいかない。
怠い心と体を引きずって外に出ると、雨が降っている。
そういえば今日は公休日で、学校は人気がない。

たまに、こういう日がある。
ちょっとした不幸を詰め込んだ、上手くいかない1日。
心折れて、閉ざしてしまいたくもなるけど、立ち止まってしまうにはまだ早い。
そのためには、どうにかエネルギーを。
物理的でも心理的でも、なんでもいいから。


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2017.06.05

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月曜日の授業が終講になり、夜はみんなで打ち上げ。
この授業は生徒数が少なくて、ほぼ毎週発表やらされるのはつらかったけど、クラスでギュッと距離感が近くなれたのはよかったかな。
とりあえず、他の授業はあと2週残っているけど、ひとつ減るだけでもありがたい。

なんか久しぶりに私のことをいろいろと聞かれた。
自分の育ちや背景について質問を受けることは、昔からずっとだったので慣れてはいるけど、私は内面を他人にかき回されるような感覚になるのが本当に嫌だった。
「理解してくれないなら、放っといてくれ」と本気で思ったし、不躾な好奇心に気を悪くすることも多かった。

お?と思ったのが、不思議とそういう気持ちにならなかったことだ。
割り切れるようになったのかもしれないし、あるいは他人の評価に気を払わなくなったのかもしれない。
どちらにせよ、自分の変化に驚きつつ、まぁ悪くないかなと。


久しぶりに、苦手な人ができたのかもしれなくて、そのことが少しずつストレスになっている。
こんな過敏に考える必要ないってわかっているのだけど、割り切れるほど大人にもなれていない。
あまり思い詰めないようにしたいけれど。

2017.06.01

先日、夜中に家がバタバタする気配を感じた。
そのとき私は、学校から23時過ぎに帰宅して倒れるように寝ていたのだけど、ほんのりと意識だけあった。
なんだろうと思いつつ、身体がとにかく重くて動けず、静かになるとすぐに意識はまた遠くなっていった。

課題をやろうと5時に起きたら、家の中に人の気配がなかった。
夜中のバタバタを思い出しながら、おじいちゃんに連絡をしてみると、夜中におばあちゃんの容態が悪くなり、急遽救急車で病院に行って検査を受けたという。
とにかく動揺したが、しばらくして帰ってきて、後日また検査を受けて、手術の必要まではないことがわかり、胸を撫で下ろした。


一緒に住んでいる祖父母は、健康的な性格をしていて、ちゃんと食べるし、それ以上に2人とも活動的でよく動く。
私よりもずっと健康だな、と思っていたけど、今回のことで意識がグッと変わった。
吉本ばななの『キッチン』でこういう記述を見たことがあるけど、高齢者と一緒に住むということは、死を身近に感じる生活であることだという。

今までこういう風に感じたことがなかったので、それがすごく恐ろしくなった。
もっとしっかりしよう、私。
なんのために一緒に住んでいるのか。


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以前、学校で見かけたリス。
校内の森で散歩するのがすきだ。

いつのまにか6月。
今月は死んだように生きる月間になる。
魂が死なないように、心が枯れないように。

2017.05.29

自分の癖というべきか。
私は、いちいち人の言葉に耳を傾けては真に受け、些細な言葉にも神経をとぎらせてしまう。
そんな大袈裟に捉える必要なんてないのではないのか。
そんなことを考えた。

もちろん、会話をする以上、人の言葉に耳を傾けることは必要だけど、私の場合過度に受け止めてしまう癖がある。
私のやっている学問自体、小さなものを大きく、簡単に見えるものを複雑に捉えるのだから、その影響もありそうだけど。
いちいちそんなことしてたら、それこそ心が病んでしまうな、とやっと気づけた。


今日は、教授と面談をした。
目的は授業の期末についての相談だけど、最後にさりげなく、「このテーマで修士論文書きたいんですけど、先生に指導教授をお願いできますか?」と聞いた。
少しおどけた受け答えをしながらも、「とりあえず期末をがんばってから考える」と言われた。

この教授は、初めて会ったときからずっと、私にトラウマに近い衝撃を与え続けた人物だ。
私はずっとこの教授が苦手で、避けたくてしょうがなかったけど、やはり授業を受けるたび、私が論文を書くにはこの人が必要だと思えた。
直接、研究に関する相談をしながらも、いかにこの教授の知識が豊富であるのか、そしてそれを捉える感性が研ぎ澄まされているのか、驚かされた。
私は学期末のたびに、様々な教授を訪ねて研究の相談をしてきたけれど、この教授は私が1を言えば10を理解して、私が進めたい方向を整理しながらその道を見せてくれた。
やはり、この教授の下で学ぶことが、今の自分にいちばん良い選択なのだろう、そんな確信も得られた。

そしてなにより、入学前以来にこの教授の研究室を訪ねて、1対1で個人的なことをたくさん話したが、私がいかにこの教授を「人間」として見ていなかったのかを実感した。
この教授の発言や態度が過激で、様々な学生に恐れられているのも事実だけど、それ以上にこの教授の人情に支えられ、心から尊敬している学生がいるのだ。

いろいろなことを思ったけれど、結論は自分の努力次第かな、と久しぶりに研究に対して積極的なマインドを取り戻した。
これから先、何度も学業に対して挫折するだろうけど、そのたびにこの気持ちに帰りたいなと思えた、そんな日だった。


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夜は、東京の教会で仲良かった人たちと会った。
東京で会ってた人と、ここソウルで会うのは、何回経験しても不思議な気持ちだ。

いろいろなことを話せて、本当によかった。
なにより、私のいちばん楽な言語は「한본어(韓本語)」で、みんなも同じだから、本当にすきなだけしゃべれた。
日本にいるときは日本語だけで会話するのに問題なかったけど、日本語だけ使うとなるととっさに単語が浮かばないことがよくあるので、ごちゃ混ぜでしゃべれるのはありがたい。



すっかり夏だ。
日中はぐったりするし、蚊に刺されてしょんぼりする季節。

2017.05.27

月曜日に教授と会う約束を取りつけ、そのために準備をしなくちゃいけないのに、一日の出鼻をくじかれ、なんとなく集中できずに過ごした。
あまり思い詰めて自分のことを責めないようにしたいのだけど、そういうわけにもいかないよな。
責めても責めなくても、なんだか上手く軌道に乗れない、ここ最近。

いわゆる、スランプなのかな。
こういうこともあるよね、と心を軽く流したいけれど。


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実は最近、ジャニーズに引き続き、坂道の子たち(乃木坂が中心だけど)にハマってしまった。
日本の女子アイドルにはハマらないだろうなと思っていたし、ハマらない自信もあった。

まず、日本の女子アイドルはロリ趣味がひどいこと。
特に秋元プロデュースの子たちは、目に見える上位構造化・ミソジニーがひどいこと。
アイドルという職業自体、性の商品化なのだから、どこも似たり寄ったりの構造かもしれないけど。
自分が女性だからか、日本の女子アイドルを見ているとそれをダイレクトに感じて、気分が悪かったので、あんまり近づくこともなかった。

まぁ、とかいってたのにハマっちゃったものはしょうがない。
坂道の子たちは、顔もきれいでかわいい子が多いけど、何より骨格が美しくて、集団でステージに立つとより一層映えて見える。
こういう世界の中で、彼女たちなりに「美しさ」を表現している姿が、かっこよくもあり、心苦しくもあり、切実にも思える。
要は、私の心に響いてしまったのだ。

特に気に入ったのは、『君の名は希望』という歌を聞いたとき。
情緒が揺さぶられ、訳も分からず泣いてしまった。
恋愛の歌って解釈する人もいるけど、「希望」を見つける歌だと思う。

いろいろと思うことはあるけれど、背筋をピンと伸ばしで舞台に立つ彼女たちが幸せであるように、影でこっそり応援したいと思う。