2017.05.01

世間は連休の中、我関せず登校。
授業があったからだ。

まぁそれでも、今週は水曜日の授業がないので、わりとのんびりできるのかな、と予定をちょくちょく入れたけれど、思ったよりもやることが多い。
来週は発表もあるし、結局スキマ時間にちょこちょこやらなきゃな。

ソウルは天気が良いけれど、相変わらず空気が悪い。
思いっきり外で遊びたいけれど、それもちょっと不可能。


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研究室の何人かと、学校の外に出て夕飯を食べて、カフェで話して。
こういう時間が久しぶりのように思えたし、新入生とこういう時間をもつのは初めてだった。

とても良い時間だった。
時間を忘れるくらい、たくさんのことをしゃべったし、自分の考えが思ったよりも整理できた。
勉強の話も、それ以外も。


昔は、「私はこの研究室に馴染むことはできないんだろうなぁ」という確信があったけれど、1年以上が過ぎた今の自分が驚きだった。
なんだ、ちゃんと馴染んでるじゃん。

あと、改めて人と話すことの意義を感じた。
人間らしい心のために、やっぱり人との触れ合いって大事だ。


「たぶん私たち、期末のとき今のこういう時間を羨ましく思うよ」という言葉に笑いつつ、激しく同感した。
期末まであとひと月。
そう考えると時間がない。

つらいことから逃げたくなるけれど、グッと耐えて、ちゃんと向き合わなきゃ。
きっとこういう記憶が、後の私を照らす光になるかもしれないんだから。


にしても、天気が良くて、気持ちもそれに引っぱられるように明るくなる。
良い一日だった。

幸先の良いメーデーのスタート。

2017.04.29

最近はマイナスの感情に引っぱられっぱなしだったけど、なんとか持ち直した。

昨日はいろんな人と、本当にいろんな話をした。
思いがけず、深い話を共有したし、私もいろんな感情をさらけ出した。
私はこんなことを考えてたのか、と自分でも驚いた部分もあった。
この人は、私の知らないところでこんなことがあったのか、こんなことを考えていたのか、と感心したり、感情移入したり、情緒が忙しかった。

当たり前だけど、私は他人のことをよく知らないし、他人は私のことをよく知らない。
そんな当たり前なことをよく忘れて、私が知っていることが全部であるかのように振舞ってしまう。


うん、やっぱりここで諦められない。
あと私は人と話すことがすきだ。
それは心地よいことばかりではなくて、刺激が強かったり、思ったようにいかないけれど、でも誰かと思わず感情が重なって、泣きたくなるほどうれしくなるときもある。

投げ出さなくてよかったし、これからも投げ出さずにがんばろうと、意志をまた再確認した。


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今日はいとこの娘(って日本語でなんていうんだろう?未だに日本語での親戚の関係がよくわからない)が1歳の誕生日で、そのお祝いに駆けつけた。
韓国では돌잔치といって、盛大にお祝いをするのだ。
日本でもこういう行事があるのだろうか?

父方の家系では、いとこの中で私がいちばん末っ子で、6人いるいとこの中で3人はもう結婚して子どももいる。
こういう席にいると、家族がどんどん増えていくことを実感する。

久しぶりにたくさん親戚に会えてよかったな。

2017.04.27

昨日のことで気分は落ちていたけど、助教の仕事があるので重い体を引きずって学校へ。
憂鬱な原因を先輩に話していたら、「なんで今日学校に来たの?そういうときは休みなよ!」と。

それもそうか、と。どちみち、この状態で何もできない。
仕事を切り上げ、研究室を飛び出した。


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恵化洞エリアに来たのは久しぶりだ。
ネットで見かけて気になった、ビーガン向けのケーキ屋さん。

素材のやさしい味がして、オーナーが丁寧に作っていることが伝わった。
帰り間際、来月移転することを教えてもらったけど、私の家の方に近くなってうれしい限り。

少しだけ、自分のために贅沢な時間を使い、頭痛がするので早めに帰宅した。


一千一秒の日々 (角川文庫)

一千一秒の日々 (角川文庫)

図書館で借りた、島本理生さんの『一千一秒の日々』。
私は、本に関しては強いこだわりがなくて、作家読みよりもそのときどきの気分で選ぶけれど、唯一作家読みするのが島本理生さんなのかもしれない。
この本も昔読んだけれど、久しぶりに彼女の本が読みたくなって手を伸ばした。

島本理生さんの作品に惹かれるのは、彼女の描く人間がすきだからなのかもしれない。
「隙の多い人」と評したけれど、空間を和らげたり、どうしようもない暗闇に引っぱる人物がよく登場する。
そんな危うさに惹きつけられてしまうし、その弱さに共感したりもする。
そして、そういう人たちを救う一筋の光を、心底うらやましいとも思う。

昔この本を読んだときは、あまり印象に残らなかったけれど、その頃よりも時間を重ねた今の自分には、彼女たちの感情に共感する部分もあったり、魅力的に見えたりした。
やはり私は、彼女の作品に登場する「人間くささ」がすきらしい。

「がんばったんだけど、ダメだった。なんでだろう、どうしてこんなふうになったんだろう。(…)自分がなにもかも悪いような気がしてたまらなかった。夜が長すぎて、淋しいよりも悲しいよりも怖かった。朝が来たのに新しくならない、眠るのも全部をリセットするんじゃなくて、ほんの数時間だけ見ないふりさせてくれるだけで、でも、何度も楽しかった頃のことが夢に出てきて、たまらなかった」


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「加納君はよく、そういうふうにすべて自分の責任みたいな言い方をするけれど、私はべつに助けてほしいと思っていなかったよ。ただ、いつも君が申し訳なさそうな表情をしていることのほうがつらかった。家族のことだって。あまり両親が上手くいっていない、いっていない、ていう言葉のくり返しで。君が殻の中にいて、私はいつもその外側にいるみたいだった。大変だったら手助けしたいと思うのはわたしだって同じだったんだよ」
そう言うと、加納君は苦笑して
「そこが男と女の違いなのかもしれないな。なにか問題があったとき、男の場合はだれかに話したりせずに一人で考えたいと思う傾向が強いらしいんだ。だけど女の人は逆で、話して発散しようとするんだって、君と僕がすれ違ったのはそういう考え方の相違も原因だったのかもしれない」
なるほどね、と私は少し感心して頷いた。

2017.04.26

最近の自分があまりにメンタルが落ちこんでいて、なかなかここに文字を書きたい気力がわかない。
つらくても、その経験が資本になると信じて、こうやって文字を書く場をもっているけれど、それにも向き合えないくらいしんどいのは、本当に初めてなのかもしれない。
どうやったら、この暗いトンネルから抜け出せるのか。

途中途中で、明るく持ち直すタイミングはあるのに、それがまた持続できないのだから、本当に相当なものだと思う。



今日は、先輩たちが論文の予備審査の日だった。
予備審査を通過すれば、のちに本審査をみることができて、本審査を通過すればいよいよ卒業なのだけど。
予備審査は、見学もできるので、朝から研究室の人が集まりセミナー室へ。

一応、前学期も見ていたけれど、前回と指導教授が違うので、また違う雰囲気だった。

私の学科の教授たちは、とにかく「こわい」「キツい」「攻撃的」と、学科内外問わず有名だ。
今回の学生たちの指導教授が、その中でボスみたいな教授なので、とにかく迫力があった。
とにかく怒られる。
論文において、文の書き方、背景の理論について、研究の方法論について、研究協力者について、研究者の位置、さらには研究者の性格についても、ズシズシと指摘される。

聞いてる私が怒られているわけでもないのに、なんだか涙が出そうになった。
今回は本当に教授の指摘がひどいケースだったらしく、観客にいた私たちは顔を下げてしまうくらい。


まぁ、先輩たちはみんな無事、予備審査を通過できて、ふた月後に本審査を見るわけだけど、朝からハイカロリーなものを見たせいで、ぐったりと疲れてしまった。

ところが、今日は夜に他大との合同セミナーがあり、そして私たちの学校が発表する番だった。
なんとか準備を終え、発表に向かったのだけど、私たちはひとり残らず3人の教授にメッタメタに刺され、メンタル崩壊しながら撃沈。

予備審査の指導教授だった教授の授業なのだけど、この教授は体力の鬼なのか、夜でも容赦なく私たちを絞り上げるのだ。
発表を終えたのにスッキリできない気持ちで、私たちは帰路に向かうのだった。



不安なことに、私が現在指導教授として考えている教授がまさしく、このボス的な教授なのだ。
この教授とは、初めて会ったときからメッタメタに刺された経験があり、1年間この教授を避けて避けて来たけど、無視できない事実は、私の研究テーマとこの教授の研究テーマが同じ領域であることだ。

なんとかがんばってみようと、今学期この教授の授業を取ったものの、今日の予備審査の様子を見ながら、自分がメッタメタに刺される場面が浮かび、「こんなに苦労してまで論文って書かなきゃいけないのか?」という気持ちにまでなった。

今日だけでも、予備審査と授業の2つの場面で、この教授は絶対に褒めないタイプなのだ。
「出来ていることは褒めず、出来ないことを責める」という、典型的な韓国の教授タイプで、他の教授が可哀想に思ったのか、「でも、よくできてたよ」とフォローいれる場面でも、嘲笑うようなタイプなのだ。
まぁ、私たちが褒めるに値しないレベルで、未熟なのだろうけど…。


ちょっと心配なのは、私がかなり自己否定を拗らせている状態で、この教授と付き合っていく場合、さらに悪化させてしまわないかということ。
かといって、単にこれだけの理由で、別の教授を選ぶのは、きついことを避けているに過ぎないのだけど。



こんなことを1日中考えながら、「自ら茨の道を選んで生きているよね。もっと楽して生きればいいのに」という言葉を思い出す。
その通りなんだけど、私はなんだかんだ、いちばん苦しい道を選んでしまうタイプのようだ。


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今週末を無事に迎えるのが目標だけれど、どうなることやら。
助教の仕事が急に切羽詰まった状態なので、心理状態が落ちつかない。

とりあえず、仕事処理をしっかり終わらせられるように。

2017.04.23

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教会のある教育課程を修了したら、お祝いにいろんな人からたくさんのお花をいただいた。
私が思った以上に、祝ってくれる人がたくさんいたことに驚いた。
私はいつも、見えないところで支えてもらっているのに、それを見落としてしまうな。
うれしさ半面、申し訳なさ半面。

うーん、私は韓国に来てあまりに「自己否定」をこじらせてしまっているので、なんとかしたいところ。
自覚がある分、治し方がわからないんだよな。
自己受容できない生き方が茨の道であることを分かっているくせに、なかなか治らないから厄介なのだ。


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外はこんなに暖かくて、草木も浮かれる春だというのに、どうも思考は重たい方向へいってしまう。
深い底まで考えをめぐらせる前に、とりあえずやることをちゃんとやろう。
先週は頭も体も重たくて、今週はちょっと気合いが必要。

体力がなさすぎることも原因かな、と思いあたり、最近はちょこっと運動もしている。
とりあえず今学期中は続けるつもりだけど、ちゃんと続けられるかな。

2017.04.19

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日中はだいぶ暖かい。
最近はダメダメで、外に出れなくなっていたけど、今日は授業があるので久しぶりに学校へ向かった。


身近にいた人が、休学して故郷に帰ってしまったんだけど、実はうつ病にかかっていたことを知った。
衝撃を受けて、そのことを別の人に話したら、「あぁ、大学院だとよくあるよね」と。
よくあるものなのか、とさらにショックを受けた。

思えば、ここ数日間の私は、うつ病の直前の状態だったかもしれない。
とにかく理由もなく落ち込んでいて、やる気が出なくて、かといって休むと罪悪感でさらに落ち込んで…。
という悪循環のなかにいた。

少し落ち着いて自分を客観視できるようになってから、徐々に良い方向に向かっている。
しかし、「うつ」を遠いものだと思っていたけど、こういう段階に沿ってかかるのか。
思ったよりも身近な存在であることも知ったし、あまり焦らずも、良い方向へ向かえるように。

授業終わり、同期と話していたら、同期が「最近やる気が出せなくて、学校に行けなくて、今日も出るか悩んだけど、授業受けたら持ち直した」と話していて、やっぱりみんな同じなのか、と勇気づけられた。

2017.04.16

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昨日は友達と会った。

去年から仲良くなり、ここでいちばんよく会っていた友達だ。
もう少しで、フランスに行ってしまう。
バタバタしているので、これが出国前ラストになるかも、と言われて改めて実感した。


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一緒にモロッコ料理を食べたのだけど、私は初めてのモロッコ料理だった。
中東料理に関して、いまいち掴みきれてなかったけど、食べてみたらおいしい。
私の味覚にも合うし、わりと量があったのに二人でぺろりと食べてしまった。


この子と話しておもしろいのは、私の見てる世界とこの子の見てる世界は違うんだなっていうことが、はっきりわかるからだ。
もちろん、基本的に人それぞれ価値観が違うことを理解しているけれど、この子といるとそれをガツンと直で感じる。
私の見ているのと違う世界が、新鮮でおもしろい。

もっと色んなことについて、たくさん話したかった。
1年は短い。
とはいえ、たまに韓国に一時帰国するとも言うし、私も落ちついたら隙を見てそっちに行くつもりだし、これで途切れることはない、と思う。




最近の悩みについて、思わぬ形で答えが与えられた。
なるほど、こういうアプローチもあるのか。


昨年末に出会って、私の考えがスッキリとまとまるきっかけになったこの本のことを思い出した。
元々、二科ヒトシさんの別の著書について、私の好きな社会学者が絶賛していて、気になって手に取ったのがきっかけだ。
経歴が語る人生経験も凄まじいけど、私が驚いたのは、精神分析学・心理学・ジェンダー研究で難しく語るようなことを、もっと簡単な言葉で整理しているのを読んで、「この人は本をたくさん読んでいる人だ」と確信を持ったからだ。
理論書を、自分の言葉で整理できる人はすごい。

この著書も、自己啓発本・恋愛指導書・サブカル本の枠組みで本屋さんにジャンル分けされることが多いけど、それが本当にもったいないくらい、精神分析学・心理学・ジェンダー研究の核心をまとめた本だと思う。
少なくとも私はそう思うし、こういう分野に興味ある人もそうじゃない人にも勧めたい本だ。


苦しい恋愛をする女性は、自分をコントロールしようとするナルシズムが強く、自己受容ができてないからつらい。
社会において、男性の場合は自己受容する「ふり」ができるが、女性はそれができない。

ざっくりとまとめると、こういうことだけど、1冊に簡潔にまとまってるが、内容は濃いので、本当に自信をもって勧めたい。
日本に置いてきてしまったけど、この本のことを考えながら、読み返したくてしょうがなくなった。


まぁ、突きつめて考えようとするとキリがないわけで、もっと割りきって考えられたらなぁ。
たくましいくせに、考えすぎるから、考えることをもっとサボったら生きやすいんだろうなぁ。